旅
December 28, 2008
いざ、インドへ(7)〜ムンバイ・アタック Mumbai Attack の後遺症
一度目は2年半前。
インド経済発展の象徴であるムンバイ Mumbai を一度訪れてみたかったからだ。
タージマハルホテル Taj Mahal Hotel のあるコラバ Colaba 地区は、ゲートウェイ・オブ・インディア The Gateway of India があり、他にも宿泊施設が密集しており、ツーリストの拠点として最適な場所だ。
初めて訪れたときは、そのコラバ Colaba 地区で宿を構えた。
そのホテルは、タージマハルホテル Taj Mahal Hotel から徒歩1分ほどにあった。
早朝にホテルを出て、まずはタージマハルホテル Taj Mahal Hotel とゲートウェイ・オブ・インディア The Gateway of India 前の広場を散歩した。

ゲートウェイ・オブ・インディア The Gateway of India
その時は、早朝にもか関わらず、多くのインド人で賑わっていた。
昼過ぎにもなると、人の数はさらに増えていた。
ムンバイ Mumbai 中のインド人が、家族や友人、恋人と楽しい時間を過ごすために訪れているようだった。
タージマハルホテル Taj Mahal Hotel 前は、現地の人々に取ってそんな場所である。
また、エレファンタ島 Elephanta Island などの離島へ向かう船がゲートウェイ・オブ・インディア The Gateway of India 前から出発している。
その乗船客も集まってくる。
ムンバイ Mumbai の象徴とも言えるタージマハルホテル Taj Mahal Hotel 。
そこが、今回、テロの対象となった。
再び現地を訪れる前は、同じ地に脚を踏み入れる事ができるかどうか心配だった。
日本の新聞でも写真が掲載されていたが、タージマハルホテル Taj Mahal Hotel 前は警察が警備しており、一般市民が立ち入れないとのことだった。
しかし、立ち入り禁止地区は、ゲートウェイ・オブ・インディア The Gateway of India 前の広場の半分程度で、それ以外は自由に歩く事ができた。

ゲートウェイ・オブ・インディア The Gateway of India 前の広場に入るには、空港のようなセキュリティチェックを受けなければならない。
やはり、そこに集まってくる人の数は少ないようだ。
時間も9時を過ぎており、1年前に同じ場所を朝8時に訪れた時に比べて、間違いなく少ない。

閑散としたタージマハルホテル Taj Mahal Hotel 前。

日本のニュースでも映像として報道されたが、今回のテロで損傷した箇所にはブルーシートが掛けられていた。
また、日本人の間隔では不謹慎と思われるかもしれないが、タージマハルホテル Taj Mahal Hotel をバックに写真を撮っている人達もいる。
遊び気分なのか、それともあの凄惨な事件を決して忘れないようにするためなのかはわからない。
しかし、多数の人々がお亡くなりになられた事には心からお悔やみを申し上げるが、インドの人達が少しでも日常の生活を取り戻している事に、旅すがらの身分ではあるが安心感を覚えた。

遠目に見ると一年前の姿と全く変わらない。その豪華な佇まいからは一ヶ月前の痛々しい姿は想像できない。

ゲートウェイ・オブ・インディア The Gateway of India 前の広場には、ヒンディー Hindi 語で書かれた掲示板が立て掛けられており、多くのインド人が見入っていた。
December 27, 2008
いざ、インドへ(5)〜ムンバイ Mumbai のムスリム Muslim 街
いつもは、海外のホテルも楽天トラベルを利用しているが、ムンバイ Mumbai では適当なホテルが見つからなかった。
インドは、昨今の急速な経済発展により、もともとホテル料金は高い。
加えて、この時期のインドは、観光にはベストシーズンで、普段よりその宿泊料金は跳ね上がる。
コラバ Colaba やフォート Fort 地区で、いわゆる3ツ星で中級ぐらいで、日本のビジネスホテルより安いホテルは見つからなかった。
仕方なく、それより3kmほど北側の、ボンベイ・ホスピタルの前のウェストエンドホテル West End Hotel を予約した。
ロケーションを除けば、まずまずのホテルだ。
一泊2,200ルピーで、ビュッフェ朝食付き。部屋も広くて綺麗で、ホテルスタッフも親切でフレンドリーだ。

ウェストエンドホテル West End Hotel の正面玄関。

ウェストエンドホテル West End Hotel の朝食。西インドながらイドリー Idly が食べられた。
ロケーションといっても、コラバ Colaba へはタクシーで15ルピーほど。
ホテル前には常にタクシーが停まっており、ホテルのドアマンが安心・安全なタクシーへ案内してくれる。
全く問題ない。
ただ、ホテル近くに小さなモスク mosque があり、その前の歩道にライフルを持った警官が二人立っていた。
先のテロの影響だろう。
また、当りを見渡すと、ムスリム Muslim が多く見受けられる。
ひょっとして、ムンバイ Mumbai の中のムスリム Muslim 街なのかもしれない。

ウェストエンドホテル West End Hotel のすぐ近くにあるモスク Mosque。前日の夜はこの前に、ライフルを持った警官が2人、警備していた。
敬虔なイスラム信者や一般市民は全く問題がない。
しかし、今回はムンバイ Mumbai でテロが起きた1ヶ月後。
それ依頼にも、今年はインド各地でテロが頻発している。
一度テロが起きると、ヒンドウー Hindu とムスリム Muslim のお互いの報復攻撃を誘発する可能性が高い。
若干、警戒感を強めて、ホテルに滞在する事にした。
インドへの入国を果たし、今日は移動だけで終了。
早朝の移動もあって、部屋に着いた途端に急に眠くなった。
パソコンを取り出し軽くメールチェックをして、シャワーを浴びた後、ベッドに倒れ込んだ。

インドさながらの光景。街に繰り出せば、いつでもどこでも見られる。

ホテル近くの朝の光景。街行く人は露店で新聞やチャイ Chai を買って行く。
いざ、インドへ(4)〜進むムンバイ Mumbai のインフラ整備
まず、空港で100USドルのトラベラーズチェックをルピーにチェンジし、プリペイドタクシーを手配した。
ACを手配したが、いくらムンバイ Mumbai でもこの時期の夜は、気温30度以下。この日は、28度だった。
車の窓を開けて走ると、外気がとても気持ちいい。
ACは失敗したと後悔した。
1年間も同じ事を思ったが、いや今回は前回以上に、空港から市内へ向かう道中で車窓から見える街中の景色は、とても洗練されてきている。
街灯も整備され、またイルミネーションやショッピングセンターのおかげで、初めてムンバイ Mumbai を訪れた時に比べると格段に街中が明るくなっている。
俺の目が慣れてきているせいもあるかもしれないが、初めてこの地を訪れた時は、薄暗くて少し気味悪く感じたものだ。
道路も整備され、車の性能も向上したのか、路面から受ける衝撃を感じる事がほとんどない。
また、今回は、テロの影響なのか、それとも日付や曜日の関係なのか、昨年に比べて交通渋滞が緩和されているように思える。
ホテルにも、幾分か早く着いたように思えた。
いざ、インドへ(3)〜ビジネスクラスとエコノミークラス
当初は全席ビジネス席で、経済発展目覚ましいムンバイ Mumbai へ直行する便として鳴り物入りでデビューした。
しかし、今年初頃だったか、そのANA743便にエコノミー席ができたと聞いた。
今回のフライトチケットも、そのエコノミー席で予約した。
シートはビジネス席とほぼ同じ。
中型機であるが、左右2列で計4列。ゆったりとしたシートで乗り心地が良い。
ビジネス席と違うところは、前のシートとの間隔が狭いところだ。
ビジネス席仕様のシートにも関わらず、背もたれも十分に倒せず、またフットレストを使っても十分に脚を伸ばす事ができない。
エコノミー席を設定するにあたり、この辺りを改造したのだろう。
加えて、機内食も、やはりエコノミー仕様だ。
当たり前と言えば当たり前だが。
昨年のビジネス席では、テーブルクロスが掛けられ、まるでコース料理のような雰囲気で、アペタイザー、メインディッシュ、デザートと提供された。
飲み物も、ワインを頼むとワインリストを見せられ、フルボトルからワイングラスへ注がれるという有様だ。
赤ワインであれば常温で提供される。
さすがビジネスクラス。
しかし、エコノミークラスでは、食事は例のようにひとつのトレーに一緒に乗せられて出される。
ワインを頼むとミニボトルで、しかも冷やしてある。
まあ、金はただ取らんということだ。
もともと、エコノミー席でも全然OKは俺だが、一度快適なサービスを味わってしまうと、多少なりとも不満に思ってしまうのは人間の弱いところである。
いざ、インドへ(2)〜ムンバイ Mumbai のテロの影響
フライトチケットも取れて、行く気満々になった矢先にムンバイ Mumbai で史上最悪のテロが発生。
タージマハルホテル Taji Mahal Hotel が炎上するテレビ映像を見て、1年前に訪れた時にはまさかそんな光景を見る事になるなんて、想像できるはずもない。
心のどこかで、「これは映画なんだ」と思いたくもなった。
しかし、何度か訪れた事がある場所、しかも日本人も一人お亡くなりになっている。
犠牲者の数も200人を超え、その惨状が毎日新聞で報道されていた。
そんなムンバイ Mumbai の現状を見聞きして、断念するのが懸命な判断かもしれない。
しかし、今年は仕事の都合で長期の休みが取れなかったから、久しくインドに足を踏み入れていない。
不安を抱きながら、今回のインド行きを決行した。
成田空港でANA743便に搭乗。
さっきセキュリティチェックを済ませたにも関わらず、飛行機に搭乗する前にももう一度セキュリティチェック。
ボディチェックをされ、手荷物を全て開けられた。
行き先がムンバイ Mumbai だから仕方ないだろう。
出発10分前に搭乗すると、機内はガラガラ。
俺の後に他の客が乗ってくる気配もない。
先月、キャンセル待ちでようやく取れたフライトに関わらず、である。
やはり、先月起きたテロで、みんなキャンセルしたんだろう。
その判断が常識的で、母国インドへ帰国するインド人は仕方ないとして、俺を含めた日本人数人は異常な行動なんだろう。
もし、再びテロが起きてこのうち誰かが死亡するなんて事になったら、日本ではどんな報道がなされるのだろうか。
おそらく、向う見ずで常識知らずの馬鹿者呼ばわりされるに違いない。
しかし、もう乗ってしまったのは仕方ない。
というより、そんな周りの声なんか気にしてたら何もできない。
俺が着席すると、機体はすぐに出発した。
いざ、インドへ(1)〜スターアライアンス・ゴールドメンバー
10時10分成田発のANA743便に搭乗するために、朝6時に家を出た。
家の近くの戸塚インターから首都高速に乗り、途中事故渋滞に巻き込まれたが、7時40分には成田空港近くのパーキングに着いた。
そこで、車と飼い犬2匹を預けて、送迎バスで成田空港へ向かった。
第2ターミナルに到着したのは、8時10分。
俺が搭乗する便が出発する、ちょうど2時間前だ。
年末年始で大混雑しているだろうから、俺にしては珍しく定石通りの2時間前の空港着。
というより、1年前に同じ便に乗るのに、1時間30分前の空港到着で慌てふためいたことから勉強したのだろう。
ANAのチェックインカウンターへ向かうと、予想取り長蛇の列。
列の最後尾には、「ここがエコノミークラスの最後尾です」と書いたカードを持った係員が立っていた。
そのカードを見て、先月、自分がスターアライアンスのゴールドメンバーになったことを思い出した。
カードを持った係員にその事を告げると、ゴールドメンバーのチェックインカウンターを教えてくれた。
さすがにゴールドメンバーのカウンターだ。
さっきのエコノミークラスのカウンターとは大違いで、順番待ちをしているのはたったの一人。
俺はその人の後ろに並んだ。
予想外に早く搭乗チェックインを済ませた後、カウンタースタッフからゴールドメンバー専用のセキュリティーチェックの場所を聞いた。
一般のセキュリティチェックには、これから始まる楽しい休暇に向かう大勢の人が押し掛けていた。
ここ数年の、空港でのセキュリティチェックの厳格化のせいで、大型連休の初日はここを通過するだけでかなりの時間が経過する。
しかし、今回は、その人集りを横目に見ながらPriority Security Checkを通過した。
出国審査も難なく済ませ、ANAラウンジに到着したのは9時ちょうど。
ゴールドメンバーでなければ、まだセキュリティチェックも済んでいないだろう。
いや、下手したらようやく搭乗チェックインが済んだ頃かもしれない。
今年は、九州や大阪への遠方の出張が多かったおかげで、ANAのプラチナポイントがゴールドメンバーの規定に達した。
あまり楽しくない、というより辛い出張ばっかりだったけど、それを我慢して耐えたご褒美なのだ、と自分で勝手に納得させる事にした。
ラウンジで朝食を済ませ、優雅な空間をゆったりと過ごした後、インド・ムンバイ Mumbai へ向かうANA743に搭乗するため、45番ゲートに向かった。
January 02, 2008
さぁ、インドへ行こう!〜(46)
ロンリープラネット lonely planet に掲載されている写真に魅せられ、ぜひ訪れてみたかった海岸寺院 Shore Temple。
昨日はとんだ誤算で、参加したバスツアーはこの海岸寺院 Shore Temple をスルーしてしまった。1月1日で、訪問者が多くて混雑しているのがその理由だった。
しかし、1日違いの今日、1月2日は、人影がまばらである。本当に昨日は、そんなに混雑していたのかと疑いたくなるほどだ。
ガイドブックなどに掲載されている観光スポットの写真は、時として人の想像を過大にすることがある。特に、ロンプラ lonely planet に掲載されている写真は夕刻時にライトアップされていて、幻想的な雰囲気を醸し出していた。その映像が、俺をここに来る気持ちを強くさせた。
だから、天高く昇ろうとしている太陽に照らされている海岸寺院 Shore Temple に、最初はがっかりした気分にさせられた。しかし、世界遺産の建造物をゆっくりと見て周ると、そう思ってしまったことがとても贅沢なことだと気付いた。
ロンプラ lonely planet によると、この海岸寺院 Shore Temple は、7世紀半ばごろから建てられていたようだ。2つの大きな尖塔にはシヴァ Shiva 神が、第3の古い神殿にはヴィシュヌ Vishnu 神が祭られている、パッラヴァ芸術の最終形の世界遺産だ。

1984年に世界遺産に登録された海岸寺院 Shore Temeple

千数百年間、海風にさらされながらも朽ち果てることなく、我々の前にその見事な佇まいを見せてくれている

ベンガル湾 Bay of Bengal に向ってそびえ立つ海岸寺院 Shore Temple

シヴァ Shiva 神に仕える聖牛ナンディ Namdhi の像

海岸寺院 Shore Temple の石の隙間に逃げようとするリス

暑い日差しが降り注ぐ海岸寺院 Shore Temple の近くでうずくまる子犬
さぁ、インドへ行こう!〜(45)
昨日は、とんだ計算違いだった。タミル・ナドゥ州観光開発公団 Tamil Nadu Tourism Development の One Day Bus Tour で、マーマッラープラム Mamallapuram の海岸寺院 Shore Temple に行く予定が、その日はHappy New Year の大混雑を理由に行けなかった。
仕切り直しで、今日1月2日、ホテルで手配した Non-A/C の車で再びマーマッラープラム Mamallapuram 向かうことにした。
今日は第一目的の海岸寺院 Shore Temple を明確に伝え、夕方のバンガロール Bangalore 行きのフライトに乗るまで、近辺を案内してくれることで交渉が成立した。
料金は、値切りに値切り倒したが、1000ルピーを下回ることはできなかった。少し高いが、今回のチェンナイ Chennai 立ち寄りの目的を考えると、致し方ない。
インド滞在4日目ともなると、俺もインド時間に慣れてきた。8時にホテルを出発すると言われたが、1時間遅れの9時に、ホテルのロビーに降りていった。
不安な気持ちは気持ちは無いわけではなかった。予約した客がなかなか降りてこないから、勝手に運転手を次の客に回してしまることだってある。
そんな不安な気持ちを他所に、ホテルロビーにあるツアーデスクに向かって歩いていった。すると、フロントマンと話し込んでいた男性が、俺に近づいてきた。“俺が今日のドライバーだよ”と言っているかのように、身振り手振りで俺を車まで案内した。
TATA製の小型車は、とても乗り心地がいい。郊外に出て悪路に差し掛かっても、決して不快な乗り心地ではなかった。
ホテルを出て1時間ほど経ったころだろうか、マーマッラープラム Mamallapuram の最初の目的地、海岸寺院 Shore Temple に到着した。

入り口を入ってすぐ左側にある、海岸寺院 Shore Temple の歴史を紹介する石板

入り口を入ると、海岸に向かって通路がまっすぐに伸びる
海岸寺院 Shore Temple という名が相応しいと思わせる海岸線

海岸寺院 Shore Temple の敷地の浜辺を、多くの人々が歩いている。波が荒い
January 01, 2008
さぁ、インドへ行こう!〜(44)
旅先での行動は、全て予定通りになることは少ない。すべて自分でアレンジしても、またツアーに参加しても。特に、ここインドでは、予定変更を余儀なくされることが頻繁だ。
海岸寺院 Sea Shore Temple へ行くつもりでタミル・ナドゥ州観光開発公団 Tamil Nadu Tourism Development のツアーに参加したが、その肝心の海岸寺院 Sea Shore Temple へ行かないことが判明した。
昨夜もらったツアーのパンフレットを確認したが、行き先にマーマッラープラム Mamallapuram とは書かれているが、海岸寺院 Sea Shore Temple とは書かれていない。
マーマッラープラム Mamallapuram へは行くが、その時々によって立ち寄る観光スポットが変わるようだ。今日のツアーが海岸寺院 Sea Shore Temple へ行くと、俺が勝手に思い込んだだけのようだ。
翌日のバンガロール Bangalore 行きのフライト時間を変更し、海岸寺院 Sea Shore Temple へは明日また仕切りなおして出直すことにした。
ボート乗りからツアー客が戻ってきて、バスは次の目的地、ゴールデンビーチ Golden Beach へ向かって、チェンナイ Chennai 以内へ向かって走り出した。
40分ほど走ったころだろうか、幹線道路沿いに、ひときわ派手な建物が見えてきた。そう、それがゴールデンビーチ Golden Beach。

チェンナイ Chennai に向かう幹線道路に突如現れた、ゴールデンビーチ Golden Beach の派手な入り口

ゴールデンビーチ Golden Beach の入り口へ向かうツアー客
入場料を払って中に入ると、そこには綺麗な砂浜の他に、遊園地も併設されているアミューズメント施設だった。
横浜住まいの俺には、日本国内の同じような施設を思いつかなかったが、かつての宮崎シーガイアなどは似たようなものかもしれない。(行ったことはないが・・・)
元来、海が大好きな俺は、さっきのボート乗りとは打って変わって、率先してゴールデンビーチ Golden Beach へ向かっていった。
昨日のチェンナイ Chennai 市内でも、今日のバスツアー客からも、みんながここゴールデンビーチ Golden Beach を薦めてくる。現地では、もっとも有名なビーチなんだろう。

入り口脇の噴水で、涼をとりながら遊ぶ人々
遊園地を抜けていくと、そこには白い砂浜が広がっていた

サリーを着た女性が海から上がってくる姿を見られるのは、ここインドだけだろう

綺麗な砂浜が永遠に続くように思われるゴールデンビーチ Golden Beach の海岸線

写真を撮っていると、真ん中の男が俺を呼び寄せた。「俺達の写真を撮ってくれ」とさ

日本でもお馴染みの綿菓子 cotton candy 。でも、なんか体に悪そうな色
さぁ、インドへ行こう!〜(43)
昼食を終え、バスは再び動き出した。子供達も、お腹いっぱいになって眠くなったのか、さっきまでの元気さは衰えてきた。何人かは自分の席に戻り、昼寝しているようだ。
俺もいつの間にか眠ってしまったようだ。気がつくと、バスは停車し、次の観光地に到着したようだ。
そこでは、とある川でボート乗りを楽しむことができる。現地の人達には、特に子供達には、このようなアトラクションは楽しいだろう。
しかし、日本からわざわざインドに来ている俺には、ヴァラナシ Varanasi のガンジス川 Ganga で乗るならまだしも、こんなところでボートなんて乗っても仕方がない。
他のツアー客がボート乗りを楽しんでいる間は、バスに戻ってみんなの帰りを待つことにした。
時計に目をやると、既に15時近くになっていた。“海岸寺院 Sea Shore Temple にはいつ行くのだろう、もうあまり時間がないな。”と心配になってきた。
バスの運転手に確認してみた。すると、“今日は1月1日で、海岸寺院 Sea Shore Temple はとても混雑している。だから、今日のツアーでは行かない。”とのことだ。
マーマッラープラム Mamallapuram での第一の目的地 である、海岸寺院 Sea Shore Temple に行かないのか。何のためにこのツアーに参加したのか、バカらしくなってきた。
運転手に、ここから海岸寺院 Sea Shore Temple へどれぐらい掛かるか聞くと、オートリキシャーで30分ぐらいだという。行けない事はない距離だ。
しかし、海岸寺院 Sea Shore Temple からチェンナイ Chennai へはどうやって戻ればいいんだろう。初めて行く地なので、勝手がわからない。
さすがに60kmの距離をオートリキシャーで走るのはキツイ。ちゃんとタクシーはつかまるだろうか・・・と色んな心配事が湧き出てきた。
全ての心配事を運転手にぶつけてみたが、“それは心配はないが、あまりお勧めではない”とのことだ。
そらそうだろう。いま自分が催行しているツアー客が、ひとり抜け出して別の場所へ向かうのを進める運転手はいるまい。また、彼の言うとおり、今日の海岸寺院 Sea Shore Temple は、本当に大混雑していることもある。
いろいろ悩んだ末に、結局はこのままツアーに参加してチェンナイ Chennai まで戻ることにした。
しかし、海岸寺院 Sea Shore Temple へはどうしても行きたい・・・そのためにチェンナイ Chennai へ飛んできたのだから。
そう思った俺は、翌日朝一番のバンガロール Bangalore 行きのフライトを、夕方の便に変更することにした。
明日はもう一度、ここマーマッラープラム Mamallapuram へ来て、海岸寺院 Sea Shore Temple へ行くことに決心した。

タミル・ナドゥ州観光開発公団 Tamil Nadu Tourism Development が運営するボート乗り場なのか・・・

日が傾いてきている中で、ツアーの子供達は両親達と楽しそうにボートに乗り込む
さぁ、インドへ行こう!〜(42)
バスにツアー客全員が戻り、次の目的地に向かって出発だ。
ガイドがマイクを使って語りかける。相変わらず、訛りがきつい英語で判りづらいが、どうやらこの近くで昼食をとるようだ。
しかし、インドの食事の時間は、日本のそれとは大きく時間がずれている。今朝の朝食も、10時ぐらいだった。これからとる昼食も、14時を過ぎている。2時間ほどズレているのか。
ほどなくして、バスは近くのレストランに到着した。昼食はバイキング形式のインド料理。子供達は大はしゃぎで料理を取りにいく。
俺は、みんなの最後尾で、大皿を手に取った。それほど種類が多くはないが、端から順番に料理を盛っていく。
何度もインドを旅しているが、未だに知らない料理がたくさんある。日本では、見たこともないような料理をわざわざ外食することはないが、旅に出かけると初めて口にする現地料理も楽しみの一つだ。
日本人の俺からすると、決して見た目は良いとは言えないインド料理がたくさんあるが、意外とそういうものが美味かったりする。旅先では、生もの以外は必ず試してみることにしている。
昼食中も、俺の周りに子供達が寄ってきた。“これあげる!”と言っているのか、チャパティ Chapati を2枚差し出す。既に満腹であったので、“No, thank you.” と言って、断った。
バスの中で子供達と遊び、日が降り注ぐ中を歩いて回った。昼食を食べた途端に、疲れがどっと出てきたような気がした。
子供達より先にレストランを出て、外でタバコを一本吸うとにした。
さぁ、インドへ行こう!〜(41)
バスは、カーンチープラム Kanchipuram からマーマッラープラム Mamallapuram へ向かった。
その道中では、車内の子供達は俺の周りから離れない。日本のこと、俺のことをいろいろと聞いてくる。どこの国の子供も、本当に無邪気で元気だ。
彼らの親たちが、時折、俺に気を使って最後尾の俺の席までやって来てくれる。“Are you exhausted?” 何人もの子供を、一度に相手をしているのが疲れると思ったのだろう。
彼らは、純粋な気持ちで俺に接してくる。嘘や偽りがまかり通る大人の世界に疲れた俺には、とても気持ち良い。癒される。
そうこうしていると、マーマッラープラム Mamallapuram へ到着した。
今回、マーマッラープラム Mamallapuram を目指したのは、海岸寺院 Sea Shore Temple を訪れたかったからだ。ロンリープラネット lonlyl panet や地球の歩き方で、海岸寺院 Sea Shore Temple の写真を見てから、是非行ってみたい所のひとつになっていた。
今回のインドの旅は、マイソール Mysore が最終目的地だが、ムンバイ Mumbai からわざわざチェンナイ Chennai に飛んだのも、その海岸寺院 Sea Shore Temple へ行きたかったからだ。
ようやく、マーマッラープラム Mamallapuram に到着し、俺の気持ちは海岸寺院 Sea Shore Temple へ一直線だ。その途中で連れて行かれるところは、あまり興味がない。
こういうときにツアーだと、料金が安い分、自分の思った通りの行動ができないのが難点だ。
マーマッラープラム Mamallapuram に着いたころには、同じツアーに参加している人たちとも打ち解け、子供達は完全に俺に懐いてきた。
今日は、海岸寺院 Sea Shore Temple へ行くこと、この子供達と遊ぶことで十分満足だ、と思うようになった。
そんな気持ちになると、ここがどこなのか関心がなくなっていたが、子供達も両親兄弟達とバスを降りて観光に出かけたので、俺もそれに着いていくことにした。

マーマッラープラム Mamallapuram で最初に連れて行かれた場所。ここはどこ?

インドでは、野良牛、野良犬の他に、ヤギまでもが街中で自由気ままに生きている

子供達が行く方向に着いていくと、なにやら歴史建造物らしきものが・・・入り口の看板を見てみると、ここが“5つのラタ(石彫寺院) Five Ratha”であることが判明した。

見事な石彫寺院の前には、俺が参加したツアー客意外にもたくさんの人々が観光に訪れていた
それほど広くはない5つのラタ(石彫寺院) Five Ratha は、ざっと見て周るだけではそれほど時間は掛からない。俺は、石彫寺院から少し名晴れた石の上に腰を下ろした。
しばらくの間、遠目で、休日を家族や友人達と楽しく過ごす人達を眺めていた。すると、ツアー参加者達が戻っていくのが見えた。俺も腰を上げ、バスに戻ることにした。
さぁ、インドへ行こう!〜(40)
しばらくすると、同じツアーに参加している人達が戻ってきた。どこの国の子供達も無邪気で元気で、兄弟や友達とはしゃぎながらバスに向かって走ってくる。
子供達は興奮冷めやらぬ状態で、バスに乗り込んでもワイワイと騒いでいる。お母さん達が注意するが、彼等は言うことを聞かない。
俺もバスに乗り込み、最後尾の自分の席に向かった。すると、バスの中ほどに座っている子供が、“コーリア?”と言ってきた。すかさず俺は、“ジャパニーズ”と答える。
ここ1〜2年の間、インドを旅すると、“ コーリア?”と尋ねられること の方が多い。4〜5年ぐらい前は、間違いなく真っ先に“ジャポネ?”と言われていたのだが。
インドへの進出は、現時点では日本よりも韓国の方が積極的のようだ。特にエレクトロニクス関係では、LGやSAMSUNGがインド市場を席巻しているようだ。SONY、Panasonic、ガンバレ!
話を戻すが、その子供に“ジャパニーズ”と答えると、彼は“ジャポネ!ジャポネ!”と騒ぎ出した。それを聞いた別の子供達も、同じように“ジャポネ!ジャポネ!”と言い出した。
今朝、バスに乗ったときから、みんな肌の色が違う俺のことが気になっていたんだろう。その彼との短いやり取りで、俺はバスの中で注目の的になってしまった。
まず、子供達が、最後尾に座る俺の周りに近寄ってきた。相変わらず“ジャポネ!ジャポネ!”と囃し立てる。ある子供が“Where in Japan do you come from?”と尋ねてくる。“I live at Yokohama.”と答える。
そうやって子供達と会話を続けていると、周りの大人達もとの会話に参加してくる。女性達は彼らの母親のようだ。子供と同じように、根掘り葉掘り俺の身上を聞いてくる。
素直に答えた後に、俺も彼等・彼女達に同じ質問を投げかける。“We're from Haryana.”と返ってきた。友達家族と一緒に、ハリヤナ Haryana から南インドへ旅行に来ているとのことだ。
この時期のハリヤナ Haryana はとても寒いようだ。場所によっては雪も降るらしい。1年に1回、こうしてみんなで南インドへ来ているという。
彼等、インドの子供達は、屈託がなく無邪気だ。また、日本の子供達と違って、とても聡明で勉強熱心である。
最も年配格の9歳の男の子が、俺にクイズを仕掛けてくる。それは、日本でも聞いたことがあるクイズで、答えはわかっている。
すぐに答えてしまうと面白くないので、わざとわからない振りをした。すると、彼から出た言葉が、“Logical thinking. this is very simple.”だと。
いま日本で、異国人の大人を相手に“Logical thinking.”と言う子供がどれだけいるのか。いや、間違いなく、ゼロであろう。
加えて、物怖じせずに、俺に色んな質問をぶつけてくる。“Do you like India?” “Do you like curry?” と“Do you like 〜?”シリーズの質問攻め。
俺も負けじと彼等に質問してみる。“Which subjects in school do you like?” これに対して、返ってきた答えは、“Science and math”
女の子も含めて半数以上の子供達が、“I like science and math”と答えてきた。これを聞いて、愕然とした。いま日本の小学生で、“数学と理科が好き!”という子供はどれだけいるのだろう。
彼等、彼女達が社会に出ていく20年後は、日本よりインドの方が、科学技術が発達しより豊かな国になっていることは間違いないだろう。

最年少4歳の子供。猿っぽいマスクで、友達・兄弟の間ではイジメられキャラになっていた

右側の男の子が、最年長で9歳。とても聡明で、俺にクイズを出し、“Logical thinking.”と言った。友達の間では、兄貴分の存在のようだ
上の猿マスクの子供のお兄ちゃん。兄弟ともに愛らしい笑顔を見せてくれる
さぁ、インドへ行こう!〜(39)
デーヴァーラージャスワーミー寺院 Devarajaswami Temple では、思わず老人の誘いに乗ってしまい、時間が経つのを忘れてしまった。
時計に目をやると、ちょうどバスに戻ろうとしていた時間だ。ここから急いで歩いても5分はかかる。老人に事情を話し、彼のガイドを打ち切りたかったが、どうしても最後まで説明したいという。
時計を気にしながら彼の話を最後まで聞く。彼も気を使ってくれて、駆け足でガイドを続ける。
ようやく最後になり、俺は彼に100ルピーのお礼を渡して、一目散にそこから離れた。彼も、“Hurry up!”と言って、俺を見送ってくれた。
“100ルピーとは奮発しすぎかなぁ・・・”と思ったが、彼の熱心なガイドに思わず差し出してしまった。
デーヴァーラージャスワーミー寺院 Devarajaswami Temple 前のの目抜き通りに差し掛かると、遠くに俺の乗ってきた青いバスが見えた。“間に合った・・・”と思わず胸をなでおろし、元来た道をまっすぐに戻っていった。
バスに到着すると、中は誰も居ない。さっきのシルクショップにも、ツアー客は誰も居ない。“みんな、どこへ行ったんだ?”と思いながらも、まだバスが発射していないことに安心し、ジーンズのポケットからタバコを取り出した。

バスの近くで停車していた車。今日は1月1日。インド流の注連縄(しめなわ)なのか??
さぁ、インドへ行こう!〜(38)
デーヴァーラージャスワーミー寺院 Devarajaswami Temple では、巧みな老人の誘いに思わず乗ってしまい、どんどん彼のペースにはまり込んでしまった。彼は機嫌を良くし、次々と俺を案内する。
老人ではあるが、笑顔がとても可愛い。とても悪人とは思えない。俺を騙そうとしているのではなく、心底から、自分達の歴史文化財を外国人にわかってもらいたい、という純粋な気持ちからなのだろう。そうでなきゃ、その彼の表情は出てこないだろう。俺も、いつの間にか、心底から彼を信頼しきっていた。

ブッダ Buddha もヴィシュヌ Vishnu 神の化身とされている

ヒンドゥー寺院の彫刻は、このように艶かしいものも非常に多い。

またもや艶かしい彫刻が。いつの時代も、人間の性への欲求は抑えきれない

細かく彫刻された部分も、欠けることなく現存していることも驚きに値する

男性に寄り添い見上げる女性。この二人は結ばれたのだろうか・・・

当時は、自動化された装置なんてない。どの石柱も手彫りで、同じものはひとつもない
ここ、デーヴァーラージャスワーミー寺院 Devarajaswami Temple は、ヴィシュヌ Vishnu 神に捧げられている。一方、さっき訪れたシュリ・エーカンバラナータル寺院 Sri Ekambaranathar Temple はシヴァ Shiva 神に捧げられている。
ヴィシュヌ Vishnu 神とシヴァ Shiva 神は、額につけられているマークが違うことを彼に教わった。ヴィシュヌ Vishnu 神は縦に一本線、シヴァ Shiva 神は横に三本線。
また、シュリ・エーカンバラナータル寺院 Sri Ekambaranathar Temple のシヴァ Shiva 神は、通称ビッグ・カーンチープラム Big Kanchipuram と言われる一方、デーヴァーラージャスワーミー寺院 Devarajaswami Temple のヴィシュヌ Vishnu 神は、リトル・カーンチープラム Little Kanchipuram と言われているとのこと。この両方の寺院は、捧げられている神の違いから、よく並び称されることが多いようだ。
さぁ、インドへ行こう!〜(37)
他のツアー客がシルクショップで時間を費やしている間、俺は近くの寺院を一人で見学することにした。
ツアーバスで連れてこられたので、地図を見ても自分の居場所がわからない。よって、これから入ろうとする寺院がなんて所かもわからないが、気にせずゴープラムをくぐった。
寺院の中に入ると左側に、見事な彫刻が施されている柱が多数立てられている、広間らしき建造物が目に入った。
その方向に向かって歩き出そうとしたとき、一人の老人が俺に近寄ってきた。どうも、“ガイドをしてやるよ”と言っているようだ。
彼の申し出を無視していたが、俺と同じ方向に向かって歩き出す。どうも、あの建造物のガイドをしてやると言っているようだ。
彼から逃げるために他に行くのもバカらしいので、そのまままっすぐに歩くことにした。
老人は、そそくさと建造物の中に入っていった。俺は、自分のペースで歩いていたが、彼はその建造物の上から、大きく手を振って俺に手招きをする。
彼の手招きで従ったわけではないが、たまたま俺が向かうところが、彼が案内する方向と同じだけだ。話しかけてきても、無視をし続ければいい。そう心に決めて、俺もこの建造物の中へ上がっていった。
無視をし続けるも、彼の言っている言葉が勝手に耳に入る。“全ての柱は、1つの岩から削られている・・・”との言葉に、思わず反応してしまった。“ひとつの岩から?”その俺の反応に気を良くしたのか、老人は次々と案内を始めていった。
ここのガイドに慣れた老人は、次へ次へを俺を案内する。写真をとる場所やアングルもアドバイスし、その手際の良さに思わず彼のペースに飲み込まれていった。さすがの俺も、彼の引き込む巧さに観念し、ここのガイドは彼に任せることにした。
“ここは、なんて寺院?”と聞いた。“デーヴァーラージャスワーミー寺院 Devarajaswami Temple ”と答える。地図で確認してみると、カーンチープラム Kanchipuram の中心から南東に外れたところにある寺院だ。
デーヴァーラージャスワーミー寺院 Devarajaswami Temple は、ヴィジャヤナガル朝 Vijayanagar によって建立され、ヴィシュヌ Vishnu 神に捧げらている。
老人いわく、“ヴィシュヌ Vishnu 神は、10のストーリーを持っている。1.fish、2.turtle、3.pig、4.lion、5.small boy、6.Rama、7.Vamana、8.Krshna、9.Kalki、10.Buddha。それらが全て、ここに彫刻されている”と言って、ひとつの柱を指差した。(後でネットで調べてみたら、10のストーリーとは、10の化身のことのようだ。)

ヴィシュヌ Vishnu 神の10の化身が柱に彫刻されている

小さな彫刻で、ところどころ風化されており、原型がわかり難くなっているものもある
さぁ、インドへ行こう!〜(36)
ツアー客全員が朝食を終え、バスに戻ってきた。子供達も満足のいく笑顔で、それぞれの席に座った。
バスは動き出し、次の目的地に向かった。次は、どこだろう・・・それも、ガイドと運転手に委ねるしかない。俺は、最後尾の席で窓の外を眺めた。
次も、10分ぐらい走ったところでバスは停車した。どうやら、土産物屋のようだ。降りたくはなかったが、一人でバスの中に居残るのも退屈だ。仕方なく、みんなの後についていった。
そこは、シルクの町工場 兼 販売所だ。アジアのどの国へ旅しても、ツアーだと必ず連れて行かれるような所だ。
ツアー客は、熱心にシルクが編まれるところを見学しているが、俺は全く関心がない。一通りざっと見たところで、そそくさと外に出てきた。
ここでどれぐらい時間を費やすのだろう。しばらく待っていたが、どうもかなりの時間を使いそうな予感がした。バスの運転手に聞いてみると、30〜40分はここにいるだろうとのこと。
その間、ずっと待っていても仕方ない。店の前から、道路の先のほうを眺めてみると、大きなゴープラムが見えた。ヒンドゥー寺院だ。
彼らがショッピングをしている間、その寺院を見に行くことにしよう。運転手にその旨を告げ、俺は道の先に見えるゴープラムに向かって歩き出した。
さぁ、インドへ行こう!〜(35)
カーマークシ・アンマン寺院 Kamakshi Amman Temple は空振りに終わり、バスは再び動き出した。相変わらず訛りのきつい英語で、ガイドは次の行き先地を告げた。
朝食だ。この近くで、朝食を用意しているようだ。10分ほどバスは走り、とあるホテルの敷地内に入った。バスの扉が開き、ツアー客はこぞって降りていった。
俺も、みんなの後に着いて行き、そのホテルの一番奥側にあった食堂に入った。正方形の4人席テーブルが10卓ほどある。先に入った子供達が、それぞれのテーブルを陣取っている。
家族連れの中に、一人日本人が座っているのもおかしいだろう。俺は、その中でまだ誰も座っていないテーブルに向かった。
しばらくすると、3人の年配の方が俺のテーブルに座ってきた。気にせず、ロンプラに目をやる。すると、奥の部屋からホテルの人が、大きな銀色の皿を両手に持ってやってきた。
それぞれのテーブルに人数分の皿を置いていく。その上には、イドリーを代表に、南インドの代表的な料理が盛られている。
全員に皿が配られたところで、今度は大きな鍋を乗せた配膳台がやって来た。その配膳台を押すホテルのスタッフが、これもまた大きなオタマでその鍋からカリーを掬う。それぞれの皿に盛っていった。
何の特徴もない殺風景なホテルの中の食堂。期待はしていなかったが、これがなかなかイケる味だった。思わず、カリーのお代わりをお願いし、全てを食べ終わったころには、額にうっすらと汗がにじみ出ていた。
各人は、自分の食事が済むとばらばらに食堂を出て行く。俺も、同じテーブルの3人と同時に席を立ち、バスを停めている駐車場へ向かった。
さぁ、インドへ行こう!〜(34)
ガイドもツアー同行者もバスに戻ってくるのが見えた。すぐに俺もバスへ戻る。子供達がわいわいと騒ぎながらバスに乗り込んでいった。
次はどこへ行くのだろう。ツアーだから、行き先をガイドと運転手に委ねるしかない。ゆっくりと動き出したバスは、10分も走らないうちに再び停車した。ガイドがマイクを通して、みんなに降りるように伝えた。

カーンチープラム Kachipuram での第二の目的地。ここはどこだろう・・・
ここはどこだろうか・・・。まぁ、いい。とりあえずみんなに着いていこう。しかし、ここはさっきのシュリ・エーカンバラナータル寺院 Sri Ekanbarabathar Temple と違って、多くの人でごった返していた。
ぼやぼやしていると、今度はほんとに置いてけぼりをくらいそうだ。ここでは、とにかくガイドに着いていくしかない。しかし、慣れたガイドとツアー客は、ここでも足早に歩いていく。
ツアー一行は、ある寺院の入り口に到着する。ガイドの指示通りに、入り口脇でスニーカーを脱ぎ、少年に10ルピーを渡し、靴を預けた。
すると、その脇でどこか懐かしい雰囲気が漂う男女が立っていた。周りとは全く肌の色が違う二人。そう、見るからに東アジア人だ。すかさず、その女性が手に持っていた本に目をやると、“地球の歩き方 インド”と書いてある。
こんなところにいる日本人に会うとは思わなかった。珍しいのだろう。お互いが意識した。
“人、多いですね”と俺が話しかけた。女性が“そうですね”と返してきた。次の言葉をかけようとすると、そのカップルは、後ろから大勢の人の流れに押しやられてしまった。
女性は流されてながら、“あけましておめでとうございます”と言ってきた。俺も同じ言葉で返そうとしたが、その人の流れに押されて二人は俺の前から消えていった。
気を取り直し、寺院入り口前に戻る。その狭い入り口に向かって、非常に大勢の人々が並んでいた。その列の先頭の方が、一際騒がしい。どうやら、寺院の人ともめているようだ。
これだけの長蛇の列ならば仕方ないか・・・と思った途端、そのもめている連中の中に、俺が参加しているツアーガイドがいるのを発見した。その周りには、ツアー同行者もいる。
おそらくタミル語だろう、何を言っているのか全く判らないが、そのすごい剣幕からただならぬ雰囲気を感じ取れた。
10分ほど経っただろうか、そのガイドは体を翻して、ツアー客を引き連れてバスへ戻っていく。仕方ない、俺も着いていくしかない。少年に預けた靴を取り戻し、急いで彼らに着いていった。
“どうしたのか?”とガイドに聞こうとしたが、その表情はまだ強ばっている。とばっちりを食らうのも癪なので、ツアー同行者の一人に聞いてみた。
“今日は新年で、たくさんの人がこの寺院に来ている。中に入るのに1時間以上かかるらしい。彼はそんなに待てないと憤慨して交渉したが、どうも無理だったようだ”
日本であれば、無言で列の最後尾に並ぶのがマナーだが、ここインドではなんでも交渉に持ち込む。彼は、我々ツアー客のことを思ってそのような交渉をしてくれたのか、それとも自分個人の感情で喚き散らしたのかはわからない。とにかく、ここインドでは、よく見る光景だ。
そのツアー同行者に、“ここは何て寺院ですか?”と聞いた。“カーマークシ Kamakshi” と言う。ロンプラを広げ、確認すると、カーマークシ・アンマン寺院 Kamakshi Amman Temple。街のほぼ中心だ。
解説を読むと、“どんな願いを叶えてくれる女神カーマークシ Kamakshi に姿を変えたパールヴァティー Parvathi に捧げられている”とのこと。新年早々、どんな願いも叶えてくれる女神カーマークシ Kamakshi の寺院を参拝できないなんて、今年はどんな願いも叶わないのかも・・・と余計なことを考えてしまった。
さぁ、インドへ行こう!〜(33)
ツアーから離れ、独りでシュリ・エーカンバラナータル寺院 Sri Ekanbaranathar Temple を見て周った。先にバスが出てしまう心配もあり、少し早めにバスに戻ることにした。
来た道を戻り、寺院の入り口に停車しているバスを見つけた。どうやら、まだツアー同行者は戻ってきていないようだ。

シュリ・エーカンバラナータル寺院 Sri Ekanbaranathar Temple 前の駐車場。左側の青と白のツートンのバスが、我々が乗ってきたバス
みんなが戻ってくるまで、バスの中で待っているのもバカらしい。彼らがバスに戻ってくるのが見える範囲内で、シュリ・エーカンバラナータル寺院 Sri Ekanbaranathar Temple の前を通りを散策してみることにした。

寺院の前をまっすぐ伸びる大通り。両脇に何台ものバスが停車していた

60メートルのゴープラムは、どこからでも見ることができ、目印になった
さぁ、インドへ行こう!〜(32)
シュリ・エーカンバラナータル寺院 Sri Ekambaranathar Temple はシヴァ Shiva 神を祀っている。16世紀から17世紀にかけて、ヴィジャヤナガル朝 Vijayanagar 、パッラヴァ朝 Pallava 、チョーラ朝 Chola の時代に建造、増築されている。
シュリ・エーカンバラナータル寺院 Sri Ekambaranathar Temple の名称の由来は、エーカ・アムラー・ナータ Eka Amra Nathar (マンゴーの王)であるという。実際に、樹齢3500年のマンゴーの木が生えており、4つのヴェーダを象徴する4本の枝が伸びている。
ガイドに案内されたツアー客は、ぞろぞろと神殿内に入っていく。案内に慣れたガイドは、次々と進んでいく。自分のペースで歩きたい俺は、気が付くとひとり取り残されてしまう。
最初のうちは、頑張ってみんなのペースに合わせてはいたが、「そんなに人も多くないし、同じツアーの人を何人か憶えていれば、すぐに見つけられるだろう。」と思い始めると、途端に我流の歩き方をしてしまった。
同行のツアー客は、シヴァ Shiva が祀ってある本堂に入っていく。ロンプラによると、そこはヒンドゥー教徒しか入れないようだ。しかし、仮にヒンドゥー教徒外が入れたとしても、俺はなぜか入る気がしなかった。
薄暗い室内の奥にシヴァ Shiva の石像が立っていた。ここインドのヒンドゥー教徒達が、神聖な気持ちでシヴァ Shiva 神に祈りを捧げている。不純な気持ちは全くなかったが、そんな場所にのこのこと異国人が見物するのも気が引けてしまった。俺は、その場から立ち去った。
ひとりで行動を開始し、同行のツアー客の姿も見えなくなった。少し不安になってきたが、「まぁ、そんなにすぐにはバスは発車しないだろう。10分ほどしてバスに戻れば大丈夫だろう。」と思い、そのまま巨大な回廊をひとりで歩き続けた。

回廊の脇には、本堂を囲むように136本のリンガ lingam が立てられている

マンゴーの木の下で、シヴァ Shiva とカーマークシ Kamakshi (パールバティ Parvathi )が結婚したという伝説がある

南インドの子供達は、カメラを向けると快くポーズをとってくれる
さぁ、インドへ行こう!〜(31)
バスは、細い裏路地をくねくねと上手に曲がりながら進む。座席から外を見ると、その細い裏路地にはたくさんの人々が行きかっている。バスとすれすれのところを揚々と歩いている。
ちょっとでもハンドル操作を間違えると、何人か引いてしまいそうだ。しかし、運転手も道行く人々も慣れたもので、そんな状態でも何も起こらない。
バスは、停車場らしき場所で停車し、ツアー客はぞろぞろとバスから降りた。俺も最後尾から、みんなに着いていった。
カーンチープラム Kanchipuram で、まず訪れたところは、シュリー・エーカンバラナータル寺院 Sri Ekambaranathar Temple だ。
このシュリー・エーカンバラナータル寺院 Sri Ekambaranathar Temple は、ここカーンチープラム Kachipuram で最も大きい寺院である。ゴープラムの高さは約60m。12haの敷地の周りに石の外壁が建てられている。

高さ60mのシュリー・エーカンバラナータル寺院 Sri Ekambaranathar Temple のゴープラム
バスが停車したすぐ傍に、入り口らしき門がある。その門の前には数軒の土産物屋がある。我々を見つけて売り込みにくるかと思ったが、誰も近づいてこない。ガイドはツアー客全員を連れて、シュリー・エーカンバラナータル寺院 Sri Ekambaranathar Temple の敷地内へ入っていった。

シュリー・エーカンバラナータル寺院 Sri Ekambaranathar Temple の入口前
さぁ、インドへ行こう!〜(30)
バスに乗り込み、俺は開いているシートに座った。暫くして、運転手が番号を呼び始める。番号を読み上げる度に、バスの中の人達が返事をする。“そっか、座席は指定なのか。俺は・・・”と思いながら、昨夜もらったチケットを見直した。
そこには、二桁の数字とアルファベット一文字が書かれている。おそらくそれが俺の座席番号だろう。俺は、隣に座っていた女性にそのチケット見せ、自分の座席を確認した。すると、最後部座席のようだ。すぐに移動し、指定されたシートに座りなおした。
バスが動き出した。“まだ半分ぐらい空席があるのに、意外と人気がないツアーだったのか・・・”と思ったや否や、5分ほどしてバスは停車した。そこは、このバスツアーの別の集合場所。大勢のツアー客が乗り込んできて、ほぼ満席になった。
再びバスは発車した。車内では男性スタッフが、インド訛りが強い英語で説明を始める。
“まずは、1時間半ほどかけてカーンチープラム Kanchipuram へ向かい、○○○ 寺院と○○○寺院へ行きます。その後に朝食です。朝食後に○○○寺院を訪問し、その後マーマッラープラム Mamallapuram へ向かいます。マーマッラープラム Mamallapuramu の後は・・・”
と、なんとなく言っていることがわかる気がしたが、それが正しいかどうかわからない。仮に、そのガイドの説明をを正確に理解できたとしても、ここインドでは予定通りに行くことは少ない。あまり気にせず、俺は車窓を眺めていた。
チェンナイ Chennai 市内は交通量も多く、道路もよく整備されている。しかし、ひとたび郊外に出ると、舗装されていない未整備の道路に出くわす。バスは上下にガタガタと揺られながらも、カーンチープラム Kanchipuram に向かって快走した。
朝早く出発したこともあり、またそのバスの上下運動が眠気を誘ってくる。外の景色を眺めていたが、いつの間にか眠ってしまったようだ。
1時間ぐらい寝てしまったのだろう。朝い眠りの中で、バスが右へ左へ小刻みに曲がる感触がした。目を覚まし外を見ると、小さな街中に入り込んでいた。カーンチープラム Kanchipuram に到着したようだ。

前の席に座っていた少年。カメラを向けると、とても可愛い笑顔を見せてくれた。
さぁ、インドへ行こう!〜(29)
インドでも、1月1日はHappy New Year だ。昨夜は、ホテル近くでもNew Year Party を開催しているレストランも多かった。そういえば、数多くのインド旅を重ねてきたが、ここインドで年越しをするのは初めてだ。
日本にいると、お決まりのテレビ番組や街中の飾り物などで、否が応でも年越し気分になってくる。しかし、ここインドでは、俺が慣れていないこともあって、そんな気分になることはなかった。ただの旅の一日に過ぎなかった。
日本ではめでたい元旦の日に、俺はここチェンナイ Chennai から、マーマッラープラム Mamallapuram とカーンチープラム Kanchipuram へ向かう。そう、昨夜、タミル・ナドゥ州観光開発公団 Tamil Nadu Tourism Development Corporation で申し込んだバスツアーに参加する。
早朝6時30分に、ツアーを申し込んだタミル・ナドゥ州観光開発公団 Tamil Nadu Tourism Development Corporation のオフィスに集合との事。5時に起きて支度するつもりが、旅の疲れか30分ほどベッドの上でうだうだしてしまった。
危うく二度寝をしそうになったが、重い体をたたき起こした。時計を見ると、6時10分。ホテルから集合場所 までは、歩いて10分ほどかかる。急いで身支度をし、部屋の床の上に無造作に置いてあったデイバックを背負い、ホテルを後にした。ちょうど6時30分。「まずい・・・。先にバスが行ってしまうんじゃ・・・」と思いながら、早足で集合場所へ向かう。
しかし、早朝でまだ薄暗いのに、たくさんのインド人が街中を行きかっていた。祝日のせいなのか、それとも元々ここインド・チェンナイ Chennai の朝の風景がいつもそうなのか、我々日本人が抱く忙しない朝というイメージは、全く感じられない。どこか優雅に、また時間の流れがゆっくりと感じられる。
そんな感傷に浸っている暇はない。そんな時間の流れの中でただ一人、日本人の俺は忙しなくタミル・ナドゥ州観光開発公団 Tamil Nadu Tourism Development Corporation へ向かう。
オフィスのドアを開け中に入る。すると、椅子に腰をかけていた数人のインド人女性と子供達が、ギロッと俺のほうに振り返った。目の前のカウンターデスクの向こうには、昨日のインド人スタッフがいた。彼は俺に、ニコッと微笑んだ。どうやら間に合ったようだ。
それから10分ほど経ち、皆が外へ出て行く。俺もそれに着いていくと、さっきの男性スタッフが俺を手招きし、目の前のバスに乗り込むように指示をする。いよいよ出発だ。

タミル・ナドゥ州観光開発公団 Tamil Nadu Tourism Development Corporation のツアーバス
December 31, 2007
さぁ、インドへ行こう!〜(28)
インドの中でも、南インドの人は本当に気さくだ。カメラを持っている俺を見かけると、すぐに“俺たち(私たち)を撮ってくれ”とせがんでくる。
エグモア駅 Egmore R.S. からタミル・ナドゥ州観光開発公団 Tamil Nadu Tourism Development Corporation へ歩くだけで、通りすがる人々や沿道で軽食を提供する人々が、俺のカメラの前でポーズを撮るのは紹介済みだ。
俺にシャッターを押させてくれるのは、別に街ですれ違う人やおやつを買う店の人だけではない。オート・リキシャーのドライバーや、高給取りが行くブランドショップの人達も、俺がカメラのレンズを向けると同じように笑顔を見せてくれる。

スペンサー・プラザ Spencer Plaza からHotel Royal Regency まで俺を運んでくれた、オート・リキシャー・ドライバーのKalai

スペンサー・プラザ Spencer Plaza でサングラスを買ったショップの親娘店員。ともにオレンジ色のサリーがとても似合う。
日本だけではなく、他のアジアの国でも、ここまで写真撮影にウェルカムな土地は他に知らない。国や地域によっては、写真撮影が厳禁なところもある。
しかし、ここチェンナイ Chennai では、そんなことを気にする必要なない。ぜひ、チェンナイ Chennai を含め南インドを訪れた際には、恥ずかしがらずにカメラのレンズを待ち行く人々に向けてみよう。日本では経験できないリアクションが、彼等・彼女達から帰ってくるだろう。
さぁ、インドへ行こう!〜(27)
タミル・ナドゥ州観光開発公団 Tamil Nadu Tourism Development Corporation へ向かうつもりが、チェンナイ Chennai の人達の気さくな笑顔に釣られて、かなりの足止めを食らった。気を引き締めなおして、目的地を探すことにした。
しかし、地図どおりに歩いても、肝心のタミル・ナドゥ州観光開発公団 Tamil Nadu Tourism Development Corporation は見つからない。どうしたことか・・・。ロンプラ lonely planet では、Park Train Station のすぐ近くだ。

Park Train Station の駅前通りの様子。仕事帰りなのか、レジャー帰りなのか、家路に急ぐ人々。
なかなか、タミル・ナドゥ州観光開発公団 Tamil Nadu Tourism Development Corporation が見つからない。諦め気分が強くなってきたところに、ようやく目的地を表すネオンが見えてきた。

タミル・ナドゥ州観光開発公団 Tamil Nadu Tourism Development Corporation
あまりにも人通りが多い通りで、周辺の光るネオンに隠れるようにして表示されるタミル・ナドゥ州観光開発公団 Tamil Nadu Tourism Development Corporation の看板。よほど気をつけて探さないと、間違いなく通り過ごしてしまうだろう。
ようやく見つけたタミル・ナドゥ州観光開発公団 Tamil Nadu Tourism Development Corporation の看板をくぐり、オフィスを探す。一歩中に足を踏み入れると、看板の外の大通りとは程遠い、薄暗い空間が俺を迎え入れた。本当に、ここに目的地があるのか・・・
そんなおれの懸念を他所に、すぐにタミル・ナドゥ州観光開発公団 Tamil Nadu Tourism Development Corporation を発見することができた。それは、小学生の夏の林間学校で見たような、薄暗くて寂れた建物の中に合った。

タミル・ナドゥ州観光開発公団 Tamil Nadu Tourism Development Corporation の入り口
ようやく見つけたタミル・ナドゥ州観光開発公団 Tamil Nadu Tourism Development Corporation 。ためらわずに、その建物に足を踏み入れた。
ここにもまた、南インド・ドラヴィダ Dravida 文化を象徴するかのような、背格好や顔、鼻の形が丸い中肉中背の男が待ち受けていた。彼は、笑顔で俺を招きいれた。
少し踏ん反り返ってはいるが、その目と表情はとてもフレンドリーだ。俺は、翌日にマーマッラープラム Mamallapuram へ行きたい旨を伝えた。
彼は“OK”と言って、俺に翌日のバスツアーの案内を始めた。
6:30amにこのオフィスの前を出発。7:00pmに帰着予定。行き先は、マーマッラープラム Mamallapuram のほか、カーンチープラム Kanchipuram など周辺の観光地を一日で周るツアーだ。
Non A/C で、330ルピー。ホテルのツアーデスクで紹介されたよりは高いが、そっちは明日は催行されない。しかも、タクシーチャーターよりは格段に安い。
仕方ない。目の前の男の笑顔と親切に免じて、このツアーに申し込むことにした。

タミル・ナドゥ州観光開発公団 Tamil Nadu Tourism Development Corporation のデスク
ようやく、翌日1月1日の予定も決まり、トボトボとホテルに戻ることにした。そういえば、今日は大晦日じゃないか。というより、腕時計で時間を確認したら、既に日本では新年が明けていた。旅をすると、つい日本の時間軸を忘れてしまうのは俺だけではないだろう。

全ての旅の手配を終えて到着したHotel Royal Regency

日本では既に新年が明けた時間だが、インドを旅している俺にとって2007年の最後の食事。“年越しそば”ではなく、“年越しビュッフェ・ターリー”??
さぁ、インドへ行こう!〜(26)
今回の旅のメインはマイソール Mysore 。にもかかわらず、ムンバイ Mumbai からバンガロール Bangalore ではなく、ここチェンナイ Chennai に飛んできたのは、もうひとつの目的がある。
それは、マハーバリプラム Mahabalipuram を訪ねることだ。チェンナイ Chennai から海沿いを南へ約60kmほど下ったところにある。
前回のチェンナイ Chennai 滞在では、マハーバリプラム Mahabalipuram を訪れる時間がなかった。もんもんとした気持ちで日本に帰国し、いつか必ずマハーバリプラム Mahabalipuram へ行くぞ!と自分自身に誓っていた。
現地では、このマハーバリプラム Mahabalipuram という呼び名より、マーマッラプラム Mamallapuram と言った方が通りがいい。前回の自分への約束を履行するため、先ほどのツアーデスクへ向かい、同じ女性にマーマッラープラム Mamallapuram へのツアーを確認してみた。
彼女に差し出されたパンフレットを見ると、マーマッラプラム Mamallapuram の他、いくつかの観光地も訪れて、バスツアーで100ルピー。India A/C 1900ルピー、India Non A/C 1700ルピーという記載もある。要はタクシー1台をチャーターしてその値段ということだ。バス、タクシーに関わらず、どれも8:00am出発の8:30pm到着のツアーのようだ。
タクシーのチャーターも魅力的だったが、バスのツアーに参加することに決めた。タクシーチャーターだと値段が高いこともあるが、現地の人達と交流する機会が乏しい。せっかく南インドまで来ているのだから、多くの現地の人達と交流したいとおもったからだ。
彼女に、翌日1月1日のバスツアーを申し込んだ。しかし、その日のバスツアーは催行されないとのこと。ここでもまた、思い通りに行かないインド旅の面白さを体験した。
そんな時、頭の片隅に残っていたタミル・ナドゥ州観光開発公団 Tamil Nadu Tourism Development Corporation のことを思い出した。確か、このタミル・ナドゥ州観光開発公団のオフィスは、この俺が滞在しているホテルから歩いてすぐのところにあるはずだ。しかも、多種多様なツアーを提供するという。マーマッラープラム Mamallapuram へのバスツアーの手配もできるかもしれない。
さっそくバッグからロンプラ lonely planet を取り出し、タミル・ナドゥ州観光開発公団 Tamil Nadu Tourism Development Corporation の位置を確認した。ホテルから中央駅 Chennai Central R.S. 方面へ歩いてすぐだ。
ホテルを出て、その地図どおりに中央駅 Chennai Central R.S. 方面へ歩く。たかだか数百メートルではあるが、その道中でも思わずカメラのレンズを向けたくなる景色が俺の目に飛び込んできた。

馬車小屋。大通りに面した小さな箇所に、馬と車が格納されていた

壁にペイントする人達。通り過ぎようとすると、彼らは俺に写真を撮るように催促した。

タミル Tamil 語は、ウォールペイントに向いているのか?妙にマッチングしている
間は夕暮れ時。日も傾いてきて、買い物に出かける時間が少なくなってきていることに焦りを感じ出した。

中央駅 Chennai Central Station 近くにある小寺院

チェンナイ Chennai では、カメラを持っていると自分達を撮るように強請られる

夕暮れ時の中央駅 Chennai Chentral Station 駅前

彼らもまた、俺が首から提げるカメラを目ざとく見つけて、写真を撮ってくれと笑顔でせがんできた。
さぁ、インドへ行こう!〜(25)
マイソール Mysore 行きの交通を確保した俺は、ホテルの前で客待ちをしていたオート・リキシャーに飛び乗った。“Would you please bring to the Spencer Plaza?”
スペンサー・プラザSpencer Plaza とは、チェンナイ Chennai の街の中心にある大型ショッピングセンターだ。前回のチェンナイ Chennai 訪問でも訪れたところだ。
買い出しと言っても、別に食料を買い込むわけではない。今回の旅で、日本から持ってきた衣類は、3日分だけだ。そう、明日から着るものがない。その衣類を買い足すため、スペンサー・プラザ Spencer Plaza へ向かった。
エグモア駅 Egmore R.S. 近くのホテルからオートリキシャーに乗り、街を南下する。チェンナイ Chennai 市街のメイン道路のアンナー・サラーイ Anna Salai を南下し、15分ほどでスペンサー・プラザ Spencer Plaza に到着した。

スペンサー・プラザ Spencer Plaza の正面入り口
オートリキシャーを降り、タバコを1本吸った。タバコを1本吸う間にも、客待ちのオートリキシャーのドライバーは、俺に手招きをしたり声をかけてきたりする。本当に商売熱心だ。
スペンサー・プラザ Spencer Plaza は、ここがチェンナイ Chennai とは思えないぐらい綺麗なショッピングセンターである。男性用、女性用の衣類を専門に扱うショップを始め、ブックショップやCD/DVDショップまである。その数は、大小含めて相当な数だ。そういえば、前回はここスペンサープラザ Spencer Plaza のショップで、ジーンズ1本と、本をCDを大量に買い込んだことを思い出した。

スペンサー・プラザ Spencer Plaza 内の吹き抜け

スペンサー・プラザ Spencer Plaza の外観や、周辺の街並みとは似つかわしくない店内の造り

前回のチェンナイ Chennai 滞在で、大量の本とCDを買い込んだショップ
スペンサー・プラザ Spencer Plaza 内を少しぶらついた。俺は、気に入るシャツを売っているショップがなかなか見つからない。やはり、日本で暮らす俺のセンスと、南インドの人々が欲しいと思うものは異なるのか。
いや、異なって当たり前だ。そう思えば、インドでの買い物なんて楽なものだ。周りの人達を見て、それと同じようなものを買えばいい。
間違っても、それを来て日本の渋谷や新宿を歩こうなんて思わないことだ。せいぜい、近所に買い物に出かけるときに着られればいい。
そう悟った俺には、既に迷うことはない。すぐ近くのショップで、安くて俺に似合うリーズナブルなシャツを調達することができた。これで明日一日は、南インド最大の都市、チェンナイ Chennai を裸体で歩かなくて済みそうだ。
さぁ、インドへ行こう!〜(24)
空港から市内へ向かう途中、タクシーが接触事故を起こすアクシデントに見舞われた。ドライバーと相手方が幾分か言い合った後、お互い何もなかったかのように、そのまま自分の行く道を進んでいった。
昼間の渋滞にも巻き込まれ、そんなこんなでホテルに到着したのは13時過ぎだった。さっそくフロントでチェックインをし、部屋へ案内された。
さて、この次にしなければいけないこと。それは、今回の旅のメインディッシュである、マイソール Mysore 行きの列車のチケットを確保することだ。
出発前の日本で、IRCTCのサイトからトライしてみたが、勝手がわからず途中で断念。チェンナイ Chennai に到着してから手配することにした。
目的の列車は、6222 Mysore Exp。チェンナイ Chennai の中央駅 Central R.S. を22時30分に発車する。マイソール Mysore 駅到着は翌朝だ。翌日の夜にこの列車に乗り込み、1月2日朝にマイソール Mysore に着くプランを立てていた。
宿泊代を浮かすこともあるが、俺は列車の旅、特に夜行列車の旅が大好きだ。ホテルの部屋に荷物を置き、ロビーにあるツアー会社のデスクに向かった。
オレンジ色のサリーを綺麗に着こなす女性がひとり、そのデスクに座っている。彼女に列車名と搭乗月日を告げて、チケットの手配をお願いした。
彼女は、目の前のパソコンを操作し始めた。しばらくすると、浮かない表情で、“No”と言ってきた。どうやら満席のようだ。仕方なく、その前後の日程で調べてもらったが、夜行も昼運行の列車も、1月4日からしか手配できないとのこと。ここチェンナイ Chennai にはそれまで滞在するつもりはない。
どうしようか思案した挙句、1月2日早朝に飛行機でバンガロール Bangalore へ行き、そこから列車でマイソール Mysore へ向かうことにした。バンガロール Bangalore まで行けば、そこかマイソール Mysore までは列車で2時間。2時間ぐらいであれば、最悪は2等に乗って揉みくちゃにされても我慢できるだろう。
そのフライトチケットを、そのツアーデスクで手配をお願いしても良かったが、彼女はエアー・デカン Air Deccan を薦めてくる。確かに、2700ルピーは破格値だ。しかし、俺はジェット・エアウェイズ Jetairways かキングフィッシャー・エアライン Kingfisher Airline に乗ることにしている。しかも、そのツアーデスクでは現金払いしか受け付けないという。
俺は部屋に戻り、自分のノートパソコンをネットに接続した。ジェットエアウェイズ Jetairways のサイトへ行き、1月2日 チェンナイ Chennai 5:55am発 → バンガロール Bangalore 6:40着 の 9W802便を予約した。フライト料金は81.7USD。ツアーデスクの彼女が薦めたエア・デカン Air Deccan とほぼ同額である。
これで、マイソール Mysore 行きへの交通を確保した。次は、チェンナイ Chennai の街中へ買出しに出かけることにした。
さぁ、インドへ行こう!〜(23)
タクシーで、チェンナイ Chennai 空港からホテルへ向かう。車窓から外の景色を眺めてみる。その光景は前回と同じ、まさしくここはチェンナイ Chennai だと実感した。
沿道に掲げられている看板は、異様に大きい。また、そこに書かれている文字も、それまで居たムンバイ Mumbai とは全く違う。
丸みを帯びたその文字は、タミル Tamil 語。ここチェンナイ Chennai が位置する州は、タミル・ナドゥ Tamil Nadu 州。その州名通り、ここはタミル Tamil 民族の国である。そう、歴史的にイスラム文化の影響を受けていない、ドラヴィタ Dravida 文化の世界だ。
ひと口にインドと言っても、その場所によって暮らす人々や文化が全く違う。主要都市、デリー Delhi、ムンバイ Mumbai、コルカタ Kolkata、チェンナイ Chennai、のどこをとっても同じ民族ではない。
多くの民族が、インドというひとつの超大国の中に暮らしている。しかし、彼らは、それぞれ自分達の独自の民族を持ち、それを誇りに思っている。
ここチェンナイ Chennai は、南インドの代表都市。インドを、北インドと南インドに分けて称することが多い。その南インドの政治、商業の中心地、それがここチェンナイ Chennnai だ。
現在のインド全体の政治、経済の中心は、北インドに集中している。しかし、タミル・ナドゥ Tamil Nadu 州を中心に南インドに暮らすタミル Tamil 民族は、インドがインドたる所以は自分達である、と自負している。
よって、北インド、特に政治の中心地デリー Delhi に対しては、自分達の独自性を主張し、抵抗意識を強く持っているように聞く。
その、彼らが主張するインドがインドたる所以、ドラヴィダ Dravida 文化を、ここチェンナイ Chennai を中心に南インドで垣間見ることができる。
さぁ、インドへ行こう!〜(22)
10:45am。予定通りにチェンナイ Chennnai 空港に到着した。チェンナイ Chennnai に到着すると、まずしなければいけないことがある。それは、ホテル探しだ。
前回、チェンナイ Chennai を訪れたとき、泊ったホテルに泊りたかった。出発前に日本で調べてみたが、わからなかった。当時持ち帰ったホテルの案内やレシートも探してみたが、見つからなかった。
知り合いの何人かにそのホテルのことを話したことを記憶しており、その人達にも聞いてみた。しかし、俺がそのとき伝えたホテル名を憶えている人はいなかった。
仕方なく、住所や連絡先、ホテル名もわからないまま、チェンナイ Chennai に到着した。エグモア駅 Egmore R.S. と中央駅 Chennai Central R.S. の間に位置することだけは憶えてている。前回と同じ、空港のホテル案内 Hotel Reservation のカウンターへ向かった。
ホテル案内 Hotel Reservation の男は、明らかに外国人とわかる俺を上客だと思ったのか、手招きをして呼んだ。“そんなに呼ばなくても行ってやるよ・・・”と心の中で呟いた。
彼は、あれやこれやとパンフレットを見せて薦めてくる。しかし、俺の心の中では、前回泊まったホテルと決めている。“前回ここで紹介してもらって、エグモア駅 Egmore R.S. と中央駅 Chennai Central R.S. の間に位置して、1泊2000ルピーぐらいのホテルを教えてくれ”と、頑張って英語で伝えた。
カウンター前に立つ男は怪訝な表情をする。しかし、カウンター内で座っていた男はすぐにピンと来たようだ。すぐにパンフレットをひとつ差し出してきた。
“Royal Regency”と書かれたパンフレット。そこに載せてあるホテルの外観とフロントの写真を見て、“間違いない!ここだ!”と思わず日本語で叫んでしまった。
デポジット1000ルピーと、プリペイドタクシー代250ルピーを支払い、ポーターに連れられてタクシー乗り場へ向かった。
小柄で中肉の中年ポーター。顔も鼻も丸っこく、見るからに南インド・ドラヴィタ系の人種だ。そんな背格好ではあるが、威風堂々と俺の荷物を引っ張って、タクシー乗り場へ案内する。
どこかで見たことのある顔でもある。そうだ、前回、ここチェンナイ Chennai 空港に降り立った時にも、このポーターにタクシー乗り場へ連れて行ったもらった。間違いない、この顔だ。
彼に英語でそのことを伝えたが、彼は全く憶えていない様子。無理もない。前回と言っても、1年半前のことなのだから。彼にとってはその間に、何百人、いや何千人の荷物を運んだのだろう。
しかし、俺自身、彼のことを憶えていて再会したことを少し嬉しく思い、前回のチェンナイ Chennai 滞在時の光景が、少しずつ頭の中に蘇ってきた。
さぁ、インドへ行こう!〜(21)
5:30am起床。日本国内でも比較的早起きな俺でも、旅先で疲れた体を早朝から動かすのは、さすがにしんどい。体に鞭打つように、ベッドから起き上がった。
曇り窓ガラスの向こうは、まだ暗い。もう一度ベッドに横たわりたい気持ちで一杯だったが、そうするわけにはいかない。6時30分には、タクシーに乗り込まなくてはいけない。
ミネラルウォーターを口に含み、タバコを一本吸った。顔を洗い、歯を磨く。トイレで用を足し、着替えに入った。徐々に、体が軽くなってくる。
6時30分きっかりに、フロントへ行く。既にタクシーは迎えに来ているようだ。運転手らしき男が、フロントの人と談笑している。早朝なのに、えらくテンションが高いもんだ。
フロントで清算を済まし、まだ気だるさが残る体をタクシーに乗り込ませた。6時30分のムンバイ Mumbai はまだ薄暗い。ようやく朝陽が昇ろうとしているところだ。
昨夜、綺麗な夜景が見えたマリンドライブ Marine Drive に差し掛かったとき、車の窓を開けてみた。昼間は排気ガスと砂埃で澱んでいる空気が、綺麗に澄んで気持ち良い。
心配していた道路渋滞も、杞憂に終わった。綺麗に舗装された道路を、タクシーは快走した。ちょうど1時間で、サンタ・クルズ Santa Cruz 空港に到着した。
日本で予約し、プリントしたe-ticketとパスポートを取り出し、ターミナルビル入り口に立つ警官に見せる。無愛想な表情で、俺の差し出したe-ticketとパスポートをチェックする。一瞬、俺の方に目を向けるが、一言も発することなくOKの合図が出た。
OKの合図と言っても、手や目で合図するのではなく、手にしている俺のe-ticketとパスポートを無愛想に差し戻すだけだ。それと同時に、彼の目は次の乗客にいっていた。
明らかに肌の色が違い、一目で異国の地から来たと判る俺に、少しぐらいは怪訝な表情をしてほしい反面、あれやこれやと詮索されても困る。無言で通されたことはありがたいことだが、少しぐらいはかまってほしいものだ。
インドの国内線は、ターミナルビルに入るとすぐに手荷物のセキュリティチェックを受け、その後の搭乗前にもチェックが入る。セキュリティ万全なのはいいことだが、非常に面倒くさい。しかも、必ずボディチェックをされる。
俺はいつも、旅に出るときは、ナイロン製の二つ折り財布をジーンズの後ろポケットに入れている。それにチェーンをつけ、そのチェーンの反対側の端をジーンズのベルト通しに繋げる。スリやひったくり対策だ
それを外して手荷物チェックやボディチェックを受けるわけにはいかない。しかも、大きな金属のバックルを身に着けている身なりでは、かならずボディチェックを受けることになる。
ジーンズの後ろポケットと前のポケットの膨らみに、彼らは必ず中身を取り出すように指示する。ある男は、しっかりと財布の中身まで調べる。またある男は、ポケットから取り出すだけでOKで、中まで調べない。
しかし、彼等全員に共通するのは、ある二つのものを指差して、それが何か質問してくる。それは、ジーンズの前ポケットに入れている、口臭予防のためのマウススプレーと、携帯灰皿だ。
マウススプレーは液体物であるので、昨今の航空事情からすると厳しくチェックを受けても仕方ない。しかし、携帯灰皿は、日本国内や他の国で、まじまじと調べられたことはない。
“これは何だ?”と質問をしてくる。“Portable ashtray”と答えると、彼等の表情が一変する。それまで厳しかった表情が微笑みに変わり、搭乗券にセキュリティ・チェックOKのスタンプを押す。
街中の路上には、タバコの吸殻が捨てられている。この国では、まだ喫煙マナーというのが浸透していないのだろう。それゆえに、携帯灰皿 portable ashtray の需要もなく、そういう製品が存在していないのだろう。
そんな環境のせいなのか、携帯灰皿 portable astray を持っていると、マナーが良いとの印象を与えるのか。ほぼ全ての連中が、笑顔でセキュリティチェックを通してくれる。
1時間ほど、待合室で時間をつぶしていると、俺が乗る航空機へ搭乗するアナウンスが流れた。9:00am ムンバイ Mumbai 発Jetairways 9W322便 チェンナイ Chennai 行き。これで、昼前には久しぶりにチェンナイ Chennnai に到着する。

Jetairways 9W922便で出された機内食。南インド・チェンナイ Chennnai 行きだからなのか、メニューにイドリー Idly が含まれていた
December 30, 2007
さぁ、インドへ行こう!〜(20)
ようやくホテルに到着し、フロントで鍵をもらって部屋に入った。思った以上に、体は疲れているようだ。こういう時は、熱い湯船に使って、一日の疲れを癒したい。しかし、インドで湯船を期待する方が無理な相談だ。

ようやく、滞在しているHotel Supreme に到着
倒れるようにベッドに横たわり、天井を見つめる。天井の扇風機がゆっくりと動き出すところだ。その動きをじっと眺めていると、つい寝入ってしまいそうになる。
明日は朝早くホテルを出て、サンタ・クルズ Santa Cruz 空港へ向かわなくてはいけない。9:00am発のチェンナイ Chennai 行きのJet Airways に搭乗予定。
空港までタクシーで約1時間。アジアで最大級といわれるムンバイ Mumbai の朝の渋滞に巻き込まれる可能性があるから、1時間半は見ておいたほうがいいだろう。
飛行機出発の1時間前に到着しようとすると、逆算で、6時半にはホテルを出ることになる。このまま寝てしまうわけにはいけない。「いかん、いかん・・・」と言い聞かせ、重い体を、無理やり起こした。
昼間かいた汗の汚れを落とすために、軽くシャワーを浴びた。荷物も、そのまま持ってで出られるように、全てをパッキングをした。これで準備万全。
椅子に座り、ヒンディー語で放送されているテレビを見ながらタバコを一本吸った。目覚ましをセットした。ベッドに横たわり、翌日の予定を反芻しているうちに、いつの間にか深い眠りに落ちていた。

インドではいつも、Will's Classic を吸っている
さぁ、インドへ行こう!〜(19)
キングフィッシャー・ビール Kingfisher Beer にベジタブル・カリー Vegetable Curry 、ベジタブル・ビルヤーニ Vegetable Byryani、フィッシュフライという、日本では絶対に一緒にテーブルに並べないメニューを全て平らげ、店を後にした。
当初想定していたよりも酔いの度合いは浅く、しっかりとした足取りで、ホテルへ向かって歩き出すことができた。しかし、疲れは最高に達していて、ゆっくりとゆっくりとしか足を前に進めることができなかった。
ある曲がり角に差し掛かったところ、右側の路地に入ったところに明るい光が見えた。また、多くの人が集まって、わいわいとお祭りのように騒いでいる。時折、爆竹が爆発する音も聞こえる。
そういう場面に遭遇すると、気にならないわけには行かない。疲れてはいたが、少しだけ覗いていくことにした。
薄暗い裏路地を、目の前の建物の入り口にある照明一つが、明るく照らしつけている。どうやらその建物は、海軍に所属する家庭の子供達が通う学校のようだ。
一人の大人が何度も爆竹を爆発させ、その度に両手の人差し指を突き上げて、気分を盛り上げている。その周りに小学生らしき子供達が、無邪気に同じように飛び跳ねている。
その周りを多くの人たちが取り囲み、微笑みながら彼等を見ている。一体何の騒ぎだろうか・・・その理由は最後までわからなかったが、どこの国でもお祭り騒ぎが好きなのは、大人も子供も関係ないということだろう。

何度も爆竹を爆発させ、両手の人差し指を突き上げて気分を盛り上げている

周りには多くのギャラリーが集まって、微笑みながらその光景を見ている
さぁ、インドへ行こう!〜(18)
ホテルの戻る途中で、食事をとることにした。そういえば、前回のムンバイ Mumbai 滞在はドライデー Dry Day で、アルコール類に一切ありつけなかった。今日はどうだろう・・・。
めぼしい店を見つけ、店の中を覗いてみる。俺と同じ顔をした東アジア人が一人、テーブルの上のキングフィッシャー・ビール Kingfisher Beer を手に取っている。今回は大丈夫なようだ。

この日、俺が食事をしたコラバ Colaba 地区にある、大衆酒場のようなレストラン
店の人に、テーブルに通された。キングフィッシャー・ビール Kingfisher Beer を飲んでいた東アジア人の隣のテーブルだ。まさか、日本人ではないだろうか・・・。異国の地で、同じ日本人には遭遇したくない。そっぽを向いて、テーブルにあるメニューに目を通した。
インドでは、ベジタリアンを気取っていることが多い。今日も、そのつもりだった。ベジタブル・カリー Vegetable Curry と ベジタブル・ビルヤーニ Vegetable Byryani、それとキングフィッシャー・ビール Kingfisher Beer だけをオーダーするつもりだったが、ビールに合わせるものがないのに気づいた。店の人に薦められたこともあり、フィッシュフライを追加した。これをビールのつまみにしよう。

インドでは標準サイズ。超ビッグサイズのキングフィッシャービール Kingfisher Beer

ベジタブル・カリー Vegetable Curry と ベジタブル・ビルヤーニ Vegetable Byryaniに、フィッシュフライを追加した
キングフィッシャー・ビール Kingfisher Beer を瓶半分ぐらい飲んだところで、酔ってきたことがわかった。昨日からの睡眠不足と、疲労が蓄積していることが影響しているのか。
インドに限らず、旅先で飲むアルコールは、必ずと言っていいほど酔いの周りを早くさせる。普段なら、これぐらいで酔うことはないのに・・・。
しかし、歩き回って汗をかいた体には、薄口のビールがとても美味しく感じられる。ホテルも近いことだし、少々酔っ払っても大丈夫だ、と自分に言い聞かせ、目の前のキングフィッシャー・ビール Kingfisher Beer を全て飲み干してしまった。
明らかに肌の色が違う俺のテーブルに、何人もの店員が寄ってくる。大衆酒場のような雰囲気の店だが、サービスはとてもいい。空いたグラスにビールを注いでくれる。
ある店員が、「どこから来た?彼と同じ国か?」と、隣のテーブルの東アジア人を指差して聞いてきた。俺は、「日本だ」と答えた。すると、「彼は、中国から来たらしい。」とのこと。
これまでインドを旅してきて、多くの韓国人には出会ってきたが、中国人に遭遇したのは初めてかもしれない。中国でも、インドを一人旅する青年が現れたことに、かの国の経済成長の凄さを改めて実感した。
さぁ、インドへ行こう!〜(17)
今回の旅の二日目も、だいぶ日が暮れてきた。腹も減ってきたからコラバ Colaba 地区へ戻るころだが、その前にマリンドライブ Marine Drive へ寄っていこう。以前、夕暮れ時に訪れたマリンドライブ Marine Drive はとても居心地のいい場所だった。すぐに目の前のタクシーに乗り込んだ。チョウパティロード Chowpatty Road を南下すると、目的地に到着する。タクシーで10分程だ。
マリンドライブ Marine Drive の夜景(ヒルトンホテル Hilton Hotel 前から)

マリンドライブ Marine Drive にあるヒルトンホテル Hilton Hotel
日はとっくに暮れて、マリンドライブ Marine Drive の夜景がとても美しい。多くの人々が、その夜景と夕涼みを楽しんでいる。12月と言ってもインドは日本の9月のような陽気。半袖で過ごしても十分だ。ここマリンドライブ Marine Drive は、アラビア海 Arabian Sea に面していて、風がとても心地いい。
前回もそうだったが、この景色と風の中で、心身ともに安らげる。昨日の早朝に日本を出発し、今朝も朝から歩き続けた。体が疲れを訴えていることに気づき、そろそろホテルに戻ることにした。
さぁ、インドへ行こう!〜(16)
旅をしていると、時間が過ぎるのが本当に早い。さっき朝の目覚めと思ったら、もう陽が西に傾いている。時計が示す時刻はまだ17時30分過ぎ。西陽を体に浴びると、もう一日の終わりをj感じてしまう。しかし、ここインド・ムンバイ Mumbai では、そんなことを感じさせない。それは、どこから湧き出てくるのか、終わりのない人の波のせいだ。

夕暮れ時に、インド門 The Gate of India 前に集まる人々
マリンドライブ Marine Drive にでも行こうか。前回、そこから見たアラビア海 Arabian Sea がとても印象に残っている。時計に目をやると、まだ17時にもなっていない。コラバ Colaba 地区からマリンドライブ Marine Drive へタクシーで向かうと、数分で着いてしまう。マリンドライブ Marine Drive はとてもいいところだが、ひとりではそれほど時間を過ごせる場所でもない。その前に・・・と思い、ロンリープラネット lonely planet を開いた。
目の前のタクシーに乗り、俺が運転手に言った行き先は、“チョウパティ・ビーチ Chowpatty Beach”。コラバ Colaba 地区から少し北の方にある。前回、行っていない所だ。前回は、空港近くにある ジュフービーチ Juhu Beach へ行った。それぞれのビーチには、それぞれの魅力がある。しかし、短期の滞在で、しかも1日に同じような二つのビーチを訪れることはない。その時は、ジュフービーチ Juhu Beach を選んだ。
程なくしてタクシーは、チョウパティビーチ Chowpatty Beach に着いた。ここも、週末の夜を家族や友人・恋人たちと過ごすために、多くの人が訪れていた。特に、家族連れが目立った。チョウパティビーチ Chowpatty Beach には、入ってすぐ脇に子供が喜びそうな遊戯施設がある。小型版遊園地と言ったところか。そこで、インドの子供たちは、はしゃぎ声を上げながら元気に遊んでいる。その遊戯施設の安全性に、俺は若干の不安を感じたが、楽しく遊んでいる子供たちの姿を見ていると、そんな不安もすぐにどこかへ吹き飛んでしまった。

チョウパティビーチ Chowpatty Beach に入ってすぐ脇にある売店

チョウパティビーチ Chowpatty Beach にある小規模遊戯施設

チョウパティビーチ Chowpatty Beach で、家族や友人達と夕暮れ時を過ごす人々
さぁ、インドへ行こう!〜(15)
マハーラクシュミ寺院 Mahalaxmi Temple も不発に終わり、トボトボとコラバ Colaba 地区へ戻ることにした。夕暮れ時のムンバイ Mumbai の街は、いつもよりも増して人通りが多い。そんな中を人ごみを掻き分けて、コラバ Coleba 地区へ向かった。
かつても日本でも、野良犬や野良猫が、人混みの中を闊歩していたように記憶している。古き良き日本を見るように、ここインドには、都会といえども動物達が街中に生息している。

インドでは、いわずと知れた牛。歩道脇の柵に括り付けられ、ご主人様を待つ牛
世界最大といわれるスラム外を持つインド・ムンバイ Mumbai。昨今のインド経済成長を象徴するように、貧富の差が広がるインド。我々異国の人間がアジアを旅すると、いわゆる富欲層よりも、貧困層の人々を目にすることが多い。それは、俺がそういう街を歩いているからかもしれないが、やはりアジアには、まだ財力を高めた人々が少ないせいもあるだろう。
俺は、日本でも特に発展した横浜に住んでいる。東京に比べて若干、経済的に見劣りするところがあるかもしれないが、日本を代表する港町。それが、ここ横浜だ。そんな横浜だが、逆に人間以外の動物達には住みにいんだにくいんではないだろうか、と思ってならない。
私は、小型犬二匹と一緒に暮らしている。確かに彼女達は、人間社会からすると迷惑この上ない行動をとることもある。しかし、𠮟り付けた後でも、じっと飼い主の目を見つめシッポを振り続ける姿を見ると、愛くるしくてたまらない。それに、我々人間だけがjこの地球の住民ではない、という気持ちが湧き上がってくる。
そう、ここ地球上には、人間も含めて多種多様な動植物が共存している。都会に住み、日々の多忙な生活を営んでいると、ついそんな気持ちを忘れがちになってしまう。しかし俺は、この二匹の同居犬のおかげで、地球上に住む人間以外の動植物の気持ちを、少なからず理解することができるようになった。彼女達に、とても感謝している。
ここムンバイ Mumbai は、インド最大の商都。これからの経済発展の勢いも、すざましいだろう。しかし、歴史的に“生”について真剣に考え、いくつかの宗教の発祥の地となったインド。俺が生まれ育った日本でも、このインドの歴史と文化に大きく影響を受けた。だからこそ、ここインドは、いつまでも地球上のあらゆる“生”に対して寛容であってほしい、と思うのは、犬二匹と同居する俺のせめてもの願いである。

ムンバイ Mumbai の街中で、猫と犬に餌をやる老インド人
さぁ、インドへ行こう!〜(14)
クロスローズ Crossroads での衣類調達が不発に終わり、その代わりにインドで初マックを果たした俺は、次に向かったのはマハーラクシュミ寺院 Mahalaxmi Temple だ。ロンリープラネット lonely planet に載っている地図では、そのマックからしてクロスローズ Crossroads の反対側に行けばいい。クロスローズ Crossroads が工事中でなければその中を突き抜ければすぐに着くのだろうが、今日はそれはできない。仕方なしに、目の前の建物を外を大回りして反対側へ行くことにした。
クロスローズ Crossroads の反対側に出ると、そこは交通量の多い大通り。どこかで見たことのある光景に、昨夜、空港からコラバ Colaba 地区へタクシーで向かうときに通った道であることを思い出すのに、そう時間はかからなかった。そんな大通りを横切った先に、マハーラクシュミ寺院 Mahalaxmi Templae がある。
交通量も多いが、歩道を歩く人の数も尋常ではない。休日のJR新宿駅や横浜駅よりも、人の数は多いのではないか、と思うほどだ。インドでも、その日は日曜日で休日だ。おそらくその人たちは、マハーラクシュミ 寺院 Mahalaxmi Temple へ向かっているのではないかと思い、その人の流れに身を任せて前へ進んだ。

大通りに面したマハーラクシュミ寺院 Mahalaxmi Temple へ繋がる入り口
そこには、無数の人が行きかっていた。多くのインドの人々が、日々の生活に組み込まれている寺院。周りを見渡すと、異国から来ている人間は俺一人のようだ。若干、居心地の悪さを感じてはいるが、それはこの地へくると毎度のこと。臆せずに奥へ入っていく。
大通りから入ると、そこは細い裏通り。そんな裏通りにも、びっくりするぐらいの多くの人が参拝のために訪れていた。

マハーラクシュミ寺院 Mahalaxmi Temple へ向かう裏路地
前回のムンバイ Mumbai 滞在では、ここマハーラクシュミ寺院 Mahalaxmi Temple はクローズだった。その日は月曜日。そう、エレファンタ島 Elephanta Island と同じ曜日に休みだった。今回、改めてここマハーラクシュミ寺院 Mahalaxmi Temple を訪れてみたが、今度は閉まっているどころか訪れる人が多すぎて中に入れない。日本の初詣のように、並んで境内に入っても良かったが、さすがに旅成れた俺でも、現地の人々に混ざって、長時間長蛇の列に並ぶのは気が引ける。仕方なしに、そのまま引き返すことにした。

マハーラクシュミ寺院 Mahalaxmi Temple へ向かおうとしたが、あまりの人の多さに、途中で引き返すことに・・・
さぁ、インドへ行こう!〜(13)
無計画な旅を続けてきたことが災いして、今回も“思いつきクロスローズ Crossroads でショッピング計画”が、見るも無残に崩れ去った。
そのとき、クロスローズ Crossroads 前に呆然と立つ俺は、既に次のことを考えていた。“そうだ。俺はインドへ来て、まだ一度もマックへ行っていない。インドのマックでは、肉類を一切使っていないマックベジ Mac Veg eを本当に売っているんだろうか?”という好奇心が芽生えてきた。
期せずして、クロスローズ Crossroads の裏玄関には、マクドナルドがあるではないか。“あの運転手、なかなか粋な計らいをするではないか・・・”と、自分の無計画さを棚に上げて、何でも肯定的に考える俺の性格は、旅に出かけると大いに役に立っている。
つい2〜3時間ほど前には、エレファンタ島 Elephanta Islands で、ベジタリアンターリーと焼きトウモロコシをたいらげた俺だが、インドでの初マックが実現味を帯びてきたら、満腹感もどこかへ吹き飛んでしまった。さっそく店に入り、カウンターでマックベジ Mac Vege をオーダーした。
マックベジ Mac Vege を食した俺の感想は、“単なるコロッケバーガーじゃないか!”
しかし、“これはこれで、イケる!”と新しい発見をしたや否や、“日本のようなコテコテしたマックより、こんなあっさりしたマックベジ Mac Vege を好むなんて、俺ってコヤジの域に達したのか!?”と、自己嫌悪に陥ってしまったのであった。

インド・マックのフロントの様子。ここで俺はベジマック Vege Mac をオーダーした

インドのマック店内の様子。週末なのに閑散としているのは時間帯のせい!?

インドのマック店前の様子。どこの国でもドナルド君は、両手を広げて偉そうに思えるのは俺だけか!?
さぁ、インドへ行こう!〜(12)
マハーラクシュミ寺院 Mahalaxmi Temple とクロスローズ Crossroads へ行くことを決めた俺は、すぐさまタクシーに乗り込んだ。
最近のムンバイ Mumbai のタクシーは、マナーが向上してきたようだ。車に乗り込むと同時に、値段交渉を仕掛けてくる運転手はかなり減った。今回乗り込んだタクシーの運転手も、俺が何も言わなくても自らメーターのレバーを横に倒した。
二輪車や四輪者がひしめき、人体に悪い影響を与えることが明らかな排気ガスと砂ぼこりが舞う道路を、そのタクシーは走り続けた。俺は、間違っても窓を開けようとも思わなかった。20分ほどした頃だろうか。運転手は、俺が座る後部座席へ振り返り、“着いた”と言った。
確かにここはクロスローズ Crossroads 。間違いない。メーターに記された金額を現在値(※)に換算して代金を支払い、タクシーを降りた。
(※ムンバイのタクシーメーターはかなり古く、表示された価格を現在値に換算しなければならない)
素直にタクシーを降りたが、実は少々ムッとしている。“あの運転手、クロスローズ Crossroads の裏側に着けやがったな”と思ったからだ。
どう見ても表玄関と思えないような建物を前にし、仕方なく逆側に回ろうと思ったが、左右の曲がり角を確認すると、ともに200mぐらいはあるではないか。“クソッ!!”と、また悪態をついてしまった。
目の前を見ると、その建物にテナントとして入っているマクドナルドがある。“ここから入るしかないようだな。クロスローズ Crossroads につながっているだろう”と推測し、そのマクドナルドの前に立つドアマンに近寄った。
“ここからクロスローズ Crossroads に入れるか?”と聞いた。答えは“No”だった。彼曰く、普段なら、このマクドナルドからそのままクロスローズ Crossroads に入れるのだが、今は工事中だという。なんて俺はいつもアンラッキーなんだ。
前回のムンバイ Mumbai では、エレファンタ島 Elephanta Islands が月曜定休で行けなかった。 今回は、エレファンタ島 Elephanta Islands には行けたが、その次のクロスローズ Crossroads には行けない。
実は、俺はこういう結末に陥ることが非常に多い。元来、計画的に事を進める俺だが、こと旅になると途端に無計画になってしまう。それは以前に、日本で綿密に計画したプランが、現地へ行けば変更を余儀なくされる経験をたくさんしてきたからだ。
その経験から、“どうせ計画を立てても、現地へ行けば変更しなくちゃいけないんだから、行ってからその日の行動を決めよう”と、無計画に旅を続けてきたせいもある。今回も、“クロスローズ Crossroads で身の周りの調達”というその場で思いついた計画も、見るも無残に崩れ去った。
さぁ、インドへ行こう!〜(11)
今回のムンバイ Mumbai は、云わばトランジットのようなもの。今回の旅の目的地は、南インドのマイソール Myasore 。日本から南インドへは直行便はなく、もっとも一般的なのは、タイのバンコク Bangkok かシンガポール Singapore を経由して南インドへ入るルートだ。
しかし、年末年始の休みで、日本からバンコク Bangkok やシンガポール Singapore へ飛ぶ便は全て満席。日本航空 JAL のマイレージで、まずはデリー Delhi へ飛んでインド国内線で南インドへ飛ぶことも考えたが、昨今のインド流行で、成田−デリー Delhi のフライトチケットも取ることができなかった。
今回の年末年始の連休は、暦通りでも9連休になり、一介のサラリーマンでなかなか長期の休みが取れない俺には、またとないチャンスだ。是が非でもインドへ飛び立つことを決意したが、肝心のフライトチケットが取れない。
H.I.Sなどで航空券を手配しても良かったが、そんなことをすると、これまで何のために日系航空会社のマイレージを貯めていたのか、バカらしくなってくる。そこで思いついたのが、全日空 ANA が2007年から就航させた成田−ムンバイ Mumbai 間のオールビジネス席の路線だ。
実はこれも、全日空 ANA のサイトでマイレージ特典航空券を手配しようとしたら、キャンセル待ち。仕方なくキャンセル待ちを入れておくと、ある時、“特典航空券の手配が可能です”とのメールが舞い込んできた。すぐさま全日空 ANA のサイトへ出向き、その特典航空券を手配した。
通常、日系航空会社のマイレージで日本からインドへの特典航空券を手配すると、エコノミーで35,000マイル〜40,000マイルである。しかし、今回の全日空 ANA のオールビジネス席の成田−ムンバイ Mumbai の特典航空券は、60,000マイル。エコノミーの1.5倍以上のマイルを消費しなくてはいけないが、インド行きを決意した俺には、何の躊躇もなく“申込み”ボタンをクリックした。
説明が長ったらしくなったが、言いたいことは、今回のムンバイ Mumbai は俺にとって、それほど重要ではないということだ。しかし、せっかくなんだから、前回行き損ねたエレファンタ島 Elephanta Island だけは行っておこう、と思っただけだ。
そんな動機だから、エレファンタ島 Elephanta Island へ行ってしまった俺には、もうムンバイ Mumbai には行きたいところはない。かといって、このままホテルに戻っても面白くない。ある種の達成感を感じた俺は、無造作にロンリープラネット lonely planet を広げた。
“そうだ!前回行き損ねたところがもうひとつある。マハーラクシュミ寺院 Mahalaxmi Temple だ。それに、そのすぐそばに、ムンバイ Mumbai 最大といわれるショッピングモール・クロスローズ Crossroads があるんだ。今回は3日間の着る物しか持ってきていない。残りの分はここクロスローズ Crossroads でで調達しよう”と思い立った。そう思った瞬間に、俺は右手を上げて、黒色と黄色のツートンのタクシーを呼び止めていた。
さぁ、インドへ行こう!〜(10)
前回のムンバイ滞在で行き損ねたエレファンタ島 Elephanta Island。“地球の歩き方”で見る石窟寺群と、直接それを見るのとでは、受け取る印象と思い馳せる気持ちは全然違ってくる。写真では伝わらない空気や匂いが、現地では実感できる。
他の観光客で邪魔をされることもあるが、その場に赴くと、それが築造され人々が暮らしていた千年以上も前の時代に、自分も身をおいている気分に一瞬でもなってしまう。
そんな干渉に浸りながら左腕に目をやると、11時半になろうとしている。他に見て回るものもなさそうだし、そのままムンバイ市内 Mumbai へ戻ることにした。
来た階段道を下り、船着場へ向かう。その途中に、焼きトウモロコシを売る女性が立っている。これは、まさしく日本でも見られる光景だ。夏祭りなどの祭事や花火大会など、人が集まってくる場所に必ず出展しているテキヤ。この女性は、インド版テキヤなのか。
さっきベジタリアン・ターリーをたいらげたところだが、この光景を見て食さないわけにはいかない。10ルピーで、焼きトウモロコシを1本いただいた。ここインドでは、しょうゆ味ではなく、塩味にライムをこすり付けて食べるらしい。
焼きトウモロコシを食べたときについた、口の周りでべとつくライン汁を拭いながら、そのまま船着場に向かう。来るときはミニトレインに乗ったから、帰りは歩いてわたろうと決めていた。
30分おきの出発だと事前に聞いていたので、少し待つことになるかもしれないと思っていたが、船着場に着くと、目の前に2隻の船が着岸している。それらしき人に聞くと、右側の船がムンバイ市内 Mumbai へ向かうらしい。急いで別の船に乗っていると、全然違う場所へ連れて行かれてしまうところだった。

エレファンタ島 Elephanta Island を出向し、ムンバイ市内 Mumbai へ向かう。
ムンバイ Mumbai 側に着岸すると、そこは人で溢れ返っていた。来るときは、早朝ということもあって人影はまばらだったが、インド門 The Gate of India やタージ・マハル・ホテル Taj Mahar Hotel の前は、家族連れやカップルなどで賑わっていた。こういう光景を見ると、世界第二位の人口であるのも頷ける。

タージ・マハル・ホテル Taj Mahar Hotel 前で、家族や友人達と過ごす人々

タージ・マハル・ホテル Taj Mahar Hotel 前で黄色いバルーンを膨らますインド人
さぁ、インドへ行こう!〜(9)
ここインドにの街中では、たくさんの動物が自由気ままな生活を営んでいる。
いわずと知れた牛。聞くところによると、彼ら彼女らは、決して野良牛ではなくきちんと飼い主がいるようだ。しかし、街中で見かけるその姿や動きはまるで野良牛のよう。インドを始めて旅したときは、いかにもインドらしい光景を、物珍しく思い関心を示したが、一方では不潔な印象を受けたものだ。しかし、回数を重ね環境に慣れてくると、その牛たちの表情としぐさが、とても可愛く思えてきた。
牛の次に、インドの街中で見かける動物は、犬。彼らは正真正銘の野良犬のようだ。私は日本で、犬を2匹飼っている。ミニチュアダックスフンドとミックス(ジャックラッセル+ミニチュアダックス)。彼女たちには、本当の子供を養うような気持ちで毎日世話している。毎日ハウスを綺麗にし、週末には必ず体を洗ってあげる。多忙にかまけて、満足のいく世話をしていないときもあるが・・・。
そんな彼女たちと比べてみると、ここインドの野良犬たちの生活環境は、可愛そうである。満足にゴハンを食べることができず、快適な生活場所も確保できず、また誰も体を洗ってくれることもない。昔の日本も野良犬がたくさん見かけられたが、同じような状態だったのかもしれない。犬を飼っている私にとっては、そんな野良犬たちを不憫に思い、なんとか助けてやりたいとも思うが、今はそのための時間的、金銭的余裕と術がない。
牛と犬の他に、猫や猿も見かける。猿は、街中というより、少し郊外にある木々が茂った公園や観光スポットに生息している。ここエレファンタ島 Elephanta Island でも、たくさんの猿たちが観光で訪れた人々に臆することなく、気の向くままの生活を営んでいる。休憩で座り込んだ人が脇に置いたペットボトルを盗み、それを弄ぶ猿。飲料水が入った小型タンクの蛇口にぶら下がる猿。使い方を知っているのか、ペットボトルのキャップを開けたり蛇口をひねって水を飲む姿を見ていると、猿が進化して人間になったのも頷ける。
“犬猿の仲”という言葉があるが、ここエレファンタ島 Elephanta Island の犬と猿は、喧嘩をすることなく、それぞれの生活を確保している。といっても、仲睦まじいわけではなく、観光客が落としていった食べ物を取り合うのは、死活問題であり当然のことだ。こうして、動物たちは、それぞれの生活を営み、種の保存を図ってきたのであろう。
さぁ、インドへ行こう!〜(8)
階段を上り終えて、ようやくエレファンタ島 Elephanta Island の頂上へ到着した。思っていたほど階段は長くなく、辛くはなかった。脇に並べられている土産物屋を物色しながら上ってきたせいもあるだろう。
石窟を見るために中へ入るには、250ルピーの入場料が必要だ。少し高い気がするが、払うしか仕方がない。入り口から入って左側は、とても眺めがいい。木が生い茂っているせいで見晴らしが良いとは決していえないが、その木の葉の隙間から見える景色は最高だ。船着場やミニトレインで渡ってきた桟橋が見える。とても小さく見え、さっきまでそこにいたことがまるで嘘のようだ。
その景色を背にし、振り返ると、ここエレファンタ島 Elephanta Island の第一窟がある。まだ朝10時過ぎにもかかわらず、多くの人が訪れている。

第一窟の入り口。この奥に、数多くの石彫りのシヴァ Shiva 神が祀られている。

石窟に入ってすぐ右側の柱に彫られているシヴァ Sihva 像
ここエレファンタ島 Elephanta Island の石窟寺院は、1987年に世界遺産に登録されている。まだ文明の利器が十分に発達していない6〜8世紀に、人々がこのような石窟を作ったことを考えると、人間のなせる技とは計り知れないものがある。21世紀の便利な生活に慣れてしまった我々には、電気も動力もない世界でどうやってこのような石像を作ることができたのか、容易には思いつかない。そのような先人達の遺産が、ここインドにはたくさんある。私がここインドへ、何度も足を運ぶ理由のひとつである。
さぁ、インドへ行こう!〜(7)
意外に美味しかったベジタリアン・ターリーで腹ごしらえも済み、いよいよエレファンタ島 Elephanta Island の頂上へ向けて、階段を上り始めることにする。階段の入り口からその先を眺めてみても、頂上は見えない。
幼いころ、毎年正月三が日に、母親が京都・伏見稲荷大社へ連れて行ってくれたことを思い出す。本殿近くに小さな山があり、その頂へ向かう長い階段を、兄貴や妹と競争したものだ。いつも、私が負けていたのを思い出す。
その階段道には、道をまたぐように数メートルおきに小さな鳥居が立てられている。頂上へ着くにまでに、いくつの階段を上るのだろう、いくつの鳥居をくぐるのだろう、と3人兄弟で数えたことがあったが、今ではその数は忘れてしまった。たしか、階段は1000以上あったような気がする。頂上へ着いたころはもうヘトヘトで、階段脇にある茶屋の入り口で、母親の到着を待ったものだ。
そういえば、今日は12月30日。いわゆる正月休みで、ここエレファンタ島 Elephanta Island へ来ている。明後日には新年が明けている。三が日には少し早いが、あの時の伏見稲荷大社を思い出して、この階段を上っていこう。そんなことを思いながら、未知の世界へ飛び込むような気持ちで、第一段目を踏み出した。
階段を上り始めてまもなく、細長い棒二本がくくりつけられた青く塗られた椅子が並べられているのを見つける。一瞬にしてその正体がわかった。やはり、ここはインド。どんなことでも商売に結びつけるところが彼ららしい。この長い階段を上りたくても上れない年配者などは、とても助かるだろう。旅の記念に・・・と一瞬、気持ちが揺らいだが、ここは自分の足で歩こう、と決心した。

頂上へ向かう急な階段道。階段脇にはたくさんの土産物屋が所狭しと並んでいる。

まるで神輿を担ぐように、4人の男が木の棒を方に乗せて観光客を運ぶ。
さぁ、インドへ行こう!〜(6)
16世紀にポルトガル人が上陸し、巨大な石彫りの象を発見してから、エレファンタ島 Elephanta Island と呼ばれるようになった。
ここには、6〜8世紀に作られたと言われている7つのヒンドゥー教の石窟寺院がある。すべての石窟寺院で、シヴァ Shiva 神が祀られている。ポルトガル人によって多くが破壊されたが、唯一、第一窟だけがその難を逃れたという。
その第一窟へは、この島の頂上にある。船着場からそこへ行くには、長い桟橋をわたらなければならない。歩いても良いが、ミニトレインに乗ってへ向かうこともできる。桟橋を渡り終えると、Elephanta Cave の標識があり、左手に入り口がある。ここで入島税(5ルピー)を払い、その先にある階段を上っていかなければならない。
どれぐらいの階段を上らなければならないのか。船で軽い睡眠をとったとは言え、今日もまだ長い。朝から体力を消耗させたくない気持ちが芽生える。そういえば、朝ホテルを出てから何も口にしていないことに気づいた。目の前の試練に突入する前に、軽く腹ごしらえでもすることにした。

エレファンタ島 Elephanta Island の入り口を示す標識

エレファンタ島 Elephanta Island の入り口。ここで入島税(5ルピー)を払う。

頂上へ向かう階段の入り口付近。右手のレストランに入り、ベジタリアン・ターリーで腹ごしらえをした。
さぁ、インドへ行こう!〜(5)
無事にエレファンタ島 Elephanta Island 行きの船のチケットを手に入れた。さっそく、インド門 The Gate of India 脇の乗り場へ向かう。そこには、いくつもの船が横付けされていて、どれがエレファンタ島 Elephanta Island へ向かう船なのかわからない。波止場の案内人らしき人に“Elephanta?”と聞くと、目の前の船に乗せられる。多少不安に思うが、目の前を見ると日本人らしき団体数人が同乗している。“間違いない・・・”
息つく暇もなく船は沖へ向かう。エレファンタ島 Elephanta Island までの所要時間は約1時間。ちょっとした船旅だ。元来、船旅や列車の旅などが大好きなで、旅するときは必ず船や列車の移動を行程に入れる。今回の旅でも、チェンナイからマイソールへ移動するのに、夜行列車で向かうことにしている。
私を乗せた船は、大きなエンジン音をたてながら、エレファンタ島 Elephanta Island へ向けてゆっくりと進んでいった。
エレファンタ島へ向かう船から見たインド門(右)とタージ・マハル・ホテル(左)
年末の激務を乗り越えて、昨日はANAの直行便で成田からムンバイへ移動。やはり疲れが残っていたのか。船の上で少し眠ってしまったようだ。旅慣れてくると、どんな状況でも寝られてしまう。しかし、油断は禁物。すぐに、身の回りの物を確認。“良かった、無事だ・・・”。といっても、ここで持ち物を取ったとしても、犯人はどこへも逃げようがない。
目が覚めて時計を見ると、船が出てちょうど1時間。眠ってしまったおかげなのか、エレファンタ島 Elephanta Island へは、あっという間に着いた気がした。寝たのは30分ぐらいか。昼寝(といっても、まだ朝10時だが・・・)の効果は抜群だ。気分爽快、気だるい体が完全快復した。
目の前の日本人団体が気にかかる。私が一人旅を好きなのは、旅先で出会う地元の方々と話をしたいからだ。同じ日本人同士では、やはり日本語で会話をし、日本にいる延長線上のような気がしてしまう。だから、いつも、あまり日本人が来なさそうなところへ行く。そんな私にとって、目の前の日本人団体客は、見て見ぬ振りをする対象となってしまう。
しかし、そういうときに限って、その団体の一人が声をかけてくる。“日本人ですか?”と。“はい”と素っ気なく答える。“正月休みですか?”と更に質問してくる。“はい”とまた素っ気なく答える。内心では、“盆休みなわけねぇだろ!放っといてくれ!”とイライラし始める。そんな私の気持ちを察したのか、その人はそれ以上、私に声をかけてくることはなかった。“また、悪態をついてしまった・・・”と反省をしながらも、今回の自分の旅を前へ進めるべく、船を降りた。
さぁ、インドへ行こう!〜(4)
2度目のムンバイ。今回は、ムンバイ市内には関心がない。朝早く出かけ、目指すはエレファンタ島 Elepahnta Island 。
前回、日本から計画してきたスケジュール通りに、ムンバイ滞在最終日にエレファンタ島 Elephanta Island へ向かおうとした。今日と同じようにインド門 The Gate of India 近くをさまよう。エレファンタ島 Elephanta Island 行きの船のチケットを入手するためだ。
ここムンバイでも、観光地では客引きが多い。インド門 The Gate of India 近辺はなおさらだ。前回、エレファンタ島 Elephanta Island 行きの船のチケット売り場を探していると、何人かの客引きに声をかけられた。“No, thank you. I'm going to Elephanta.”と軽くあしらう。すると、何人もの客引きが“Today, Elephanta is close.”という。それでも無視をしていた。しかし、とてもシツコイ。数人に囲まれた。念のため、片手に持っていた地球の歩き方に目を通すと、ページの端に小さな文字で“休:月曜”と書いてあるではないか。そう、前回、エレファンタ島 Elephanta Island へ向かおうとしたのは、ちょうど月曜日だった。
インド門 The Gate of India 前の広場でハトに餌をやる人
今回は、ちゃんと抜かりがない。今日は日曜日だ。ロンプラには、インド門 The Gate of India 脇のチケット売り場で船のチケット売っているという。しかし、それらしい建屋は見つからない。近くの現地人に聞いてみた。すると、インド門 The Gate of India を背にして逆側を指差す。“いい加減なことを言う奴だなぁ・・・” ロンプラに書いてあることと違うような気がしたが、とりあえずその人が指差す方向へ向かうことにした。
歩を進めてすぐに、前方の建屋の前に、十数人の群集が目に入った。“ひょっとして?”と思い、その建屋へ目掛けて、まっすぐに歩く速度を速めた。
“やった!見つかった!” チケット売り場がちゃんと見つけられるか、少しは不安に思っていたが、これでひと安心。エレファンタ島 Elephanta Island へ行ける。
と思ったのもつかの間、そうここはインド。チケット売り場を見つけても、実際にチケットを手にするのは至難の業である。日本みたいに、きちんと並んで順番を待つなんてヤツは一人もいない。横入りや肩越しに後ろからルピー札を差し出すヤツばかり。ここインドでは、日本人魂を捨て去らなければ、タフなインド人を相手に生きてはいけない。
エレファンタ島 Elephanta Island 行きの船のチケット売り場
さぁ、インドへ行こう!〜(3)
1年半前に来たムンバイ。そのときも、インド門 The Gate of India を見た。朝早く出向くと、朝もやがかかるその光景は、実に綺麗だ。また、タージマハルホテル Taj Mahar Hotel も、その荘厳がたたずまいは、いつ見ても圧巻される。
また、アラビア海という言葉は、日本で生活していると馴染みがない。アラビア海はかつて、オランダやイギリスなどの列強諸国が、ここを通ってインドへ綿や香辛料を買い求めてきている。実際にたどり着いたのはもっと南の方だが、その影響なのか、インドでのキリスト教徒は、南部に多いような気がする。
また、このインド門 The Gate of India は、かつてイギリス植民地時代を象徴する建造物である。イギリス軍の最後の船が、ここインド門を後にして戻っていった光景を見て、現地の人々は歓喜をあげたに違いない。



























































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