旅
January 02, 2008
さぁ、インドへ行こう!〜(46)
ロンリープラネット lonely planet に掲載されている写真に魅せられ、ぜひ訪れてみたかった海岸寺院 Shore Temple。
昨日はとんだ誤算で、参加したバスツアーはこの海岸寺院 Shore Temple をスルーしてしまった。1月1日で、訪問者が多くて混雑しているのがその理由だった。
しかし、1日違いの今日、1月2日は、人影がまばらである。本当に昨日は、そんなに混雑していたのかと疑いたくなるほどだ。
ガイドブックなどに掲載されている観光スポットの写真は、時として人の想像を過大にすることがある。特に、ロンプラ lonely planet に掲載されている写真は夕刻時にライトアップされていて、幻想的な雰囲気を醸し出していた。その映像が、俺をここに来る気持ちを強くさせた。
だから、天高く昇ろうとしている太陽に照らされている海岸寺院 Shore Temple に、最初はがっかりした気分にさせられた。しかし、世界遺産の建造物をゆっくりと見て周ると、そう思ってしまったことがとても贅沢なことだと気付いた。
ロンプラ lonely planet によると、この海岸寺院 Shore Temple は、7世紀半ばごろから建てられていたようだ。2つの大きな尖塔にはシヴァ Shiva 神が、第3の古い神殿にはヴィシュヌ Vishnu 神が祭られている、パッラヴァ芸術の最終形の世界遺産だ。

1984年に世界遺産に登録された海岸寺院 Shore Temeple

千数百年間、海風にさらされながらも朽ち果てることなく、我々の前にその見事な佇まいを見せてくれている

ベンガル湾 Bay of Bengal に向ってそびえ立つ海岸寺院 Shore Temple

シヴァ Shiva 神に仕える聖牛ナンディ Namdhi の像

海岸寺院 Shore Temple の石の隙間に逃げようとするリス

暑い日差しが降り注ぐ海岸寺院 Shore Temple の近くでうずくまる子犬
さぁ、インドへ行こう!〜(45)
昨日は、とんだ計算違いだった。タミル・ナドゥ州観光開発公団 Tamil Nadu Tourism Development の One Day Bus Tour で、マーマッラープラム Mamallapuram の海岸寺院 Shore Temple に行く予定が、その日はHappy New Year の大混雑を理由に行けなかった。
仕切り直しで、今日1月2日、ホテルで手配した Non-A/C の車で再びマーマッラープラム Mamallapuram 向かうことにした。
今日は第一目的の海岸寺院 Shore Temple を明確に伝え、夕方のバンガロール Bangalore 行きのフライトに乗るまで、近辺を案内してくれることで交渉が成立した。
料金は、値切りに値切り倒したが、1000ルピーを下回ることはできなかった。少し高いが、今回のチェンナイ Chennai 立ち寄りの目的を考えると、致し方ない。
インド滞在4日目ともなると、俺もインド時間に慣れてきた。8時にホテルを出発すると言われたが、1時間遅れの9時に、ホテルのロビーに降りていった。
不安な気持ちは気持ちは無いわけではなかった。予約した客がなかなか降りてこないから、勝手に運転手を次の客に回してしまることだってある。
そんな不安な気持ちを他所に、ホテルロビーにあるツアーデスクに向かって歩いていった。すると、フロントマンと話し込んでいた男性が、俺に近づいてきた。“俺が今日のドライバーだよ”と言っているかのように、身振り手振りで俺を車まで案内した。
TATA製の小型車は、とても乗り心地がいい。郊外に出て悪路に差し掛かっても、決して不快な乗り心地ではなかった。
ホテルを出て1時間ほど経ったころだろうか、マーマッラープラム Mamallapuram の最初の目的地、海岸寺院 Shore Temple に到着した。

入り口を入ってすぐ左側にある、海岸寺院 Shore Temple の歴史を紹介する石板

入り口を入ると、海岸に向かって通路がまっすぐに伸びる
海岸寺院 Shore Temple という名が相応しいと思わせる海岸線

海岸寺院 Shore Temple の敷地の浜辺を、多くの人々が歩いている。波が荒い
January 01, 2008
さぁ、インドへ行こう!〜(44)
旅先での行動は、全て予定通りになることは少ない。すべて自分でアレンジしても、またツアーに参加しても。特に、ここインドでは、予定変更を余儀なくされることが頻繁だ。
海岸寺院 Sea Shore Temple へ行くつもりでタミル・ナドゥ州観光開発公団 Tamil Nadu Tourism Development のツアーに参加したが、その肝心の海岸寺院 Sea Shore Temple へ行かないことが判明した。
昨夜もらったツアーのパンフレットを確認したが、行き先にマーマッラープラム Mamallapuram とは書かれているが、海岸寺院 Sea Shore Temple とは書かれていない。
マーマッラープラム Mamallapuram へは行くが、その時々によって立ち寄る観光スポットが変わるようだ。今日のツアーが海岸寺院 Sea Shore Temple へ行くと、俺が勝手に思い込んだだけのようだ。
翌日のバンガロール Bangalore 行きのフライト時間を変更し、海岸寺院 Sea Shore Temple へは明日また仕切りなおして出直すことにした。
ボート乗りからツアー客が戻ってきて、バスは次の目的地、ゴールデンビーチ Golden Beach へ向かって、チェンナイ Chennai 以内へ向かって走り出した。
40分ほど走ったころだろうか、幹線道路沿いに、ひときわ派手な建物が見えてきた。そう、それがゴールデンビーチ Golden Beach。

チェンナイ Chennai に向かう幹線道路に突如現れた、ゴールデンビーチ Golden Beach の派手な入り口

ゴールデンビーチ Golden Beach の入り口へ向かうツアー客
入場料を払って中に入ると、そこには綺麗な砂浜の他に、遊園地も併設されているアミューズメント施設だった。
横浜住まいの俺には、日本国内の同じような施設を思いつかなかったが、かつての宮崎シーガイアなどは似たようなものかもしれない。(行ったことはないが・・・)
元来、海が大好きな俺は、さっきのボート乗りとは打って変わって、率先してゴールデンビーチ Golden Beach へ向かっていった。
昨日のチェンナイ Chennai 市内でも、今日のバスツアー客からも、みんながここゴールデンビーチ Golden Beach を薦めてくる。現地では、もっとも有名なビーチなんだろう。

入り口脇の噴水で、涼をとりながら遊ぶ人々
遊園地を抜けていくと、そこには白い砂浜が広がっていた

サリーを着た女性が海から上がってくる姿を見られるのは、ここインドだけだろう

綺麗な砂浜が永遠に続くように思われるゴールデンビーチ Golden Beach の海岸線

写真を撮っていると、真ん中の男が俺を呼び寄せた。「俺達の写真を撮ってくれ」とさ

日本でもお馴染みの綿菓子 cotton candy 。でも、なんか体に悪そうな色
さぁ、インドへ行こう!〜(43)
昼食を終え、バスは再び動き出した。子供達も、お腹いっぱいになって眠くなったのか、さっきまでの元気さは衰えてきた。何人かは自分の席に戻り、昼寝しているようだ。
俺もいつの間にか眠ってしまったようだ。気がつくと、バスは停車し、次の観光地に到着したようだ。
そこでは、とある川でボート乗りを楽しむことができる。現地の人達には、特に子供達には、このようなアトラクションは楽しいだろう。
しかし、日本からわざわざインドに来ている俺には、ヴァラナシ Varanasi のガンジス川 Ganga で乗るならまだしも、こんなところでボートなんて乗っても仕方がない。
他のツアー客がボート乗りを楽しんでいる間は、バスに戻ってみんなの帰りを待つことにした。
時計に目をやると、既に15時近くになっていた。“海岸寺院 Sea Shore Temple にはいつ行くのだろう、もうあまり時間がないな。”と心配になってきた。
バスの運転手に確認してみた。すると、“今日は1月1日で、海岸寺院 Sea Shore Temple はとても混雑している。だから、今日のツアーでは行かない。”とのことだ。
マーマッラープラム Mamallapuram での第一の目的地 である、海岸寺院 Sea Shore Temple に行かないのか。何のためにこのツアーに参加したのか、バカらしくなってきた。
運転手に、ここから海岸寺院 Sea Shore Temple へどれぐらい掛かるか聞くと、オートリキシャーで30分ぐらいだという。行けない事はない距離だ。
しかし、海岸寺院 Sea Shore Temple からチェンナイ Chennai へはどうやって戻ればいいんだろう。初めて行く地なので、勝手がわからない。
さすがに60kmの距離をオートリキシャーで走るのはキツイ。ちゃんとタクシーはつかまるだろうか・・・と色んな心配事が湧き出てきた。
全ての心配事を運転手にぶつけてみたが、“それは心配はないが、あまりお勧めではない”とのことだ。
そらそうだろう。いま自分が催行しているツアー客が、ひとり抜け出して別の場所へ向かうのを進める運転手はいるまい。また、彼の言うとおり、今日の海岸寺院 Sea Shore Temple は、本当に大混雑していることもある。
いろいろ悩んだ末に、結局はこのままツアーに参加してチェンナイ Chennai まで戻ることにした。
しかし、海岸寺院 Sea Shore Temple へはどうしても行きたい・・・そのためにチェンナイ Chennai へ飛んできたのだから。
そう思った俺は、翌日朝一番のバンガロール Bangalore 行きのフライトを、夕方の便に変更することにした。
明日はもう一度、ここマーマッラープラム Mamallapuram へ来て、海岸寺院 Sea Shore Temple へ行くことに決心した。

タミル・ナドゥ州観光開発公団 Tamil Nadu Tourism Development が運営するボート乗り場なのか・・・

日が傾いてきている中で、ツアーの子供達は両親達と楽しそうにボートに乗り込む
さぁ、インドへ行こう!〜(42)
バスにツアー客全員が戻り、次の目的地に向かって出発だ。
ガイドがマイクを使って語りかける。相変わらず、訛りがきつい英語で判りづらいが、どうやらこの近くで昼食をとるようだ。
しかし、インドの食事の時間は、日本のそれとは大きく時間がずれている。今朝の朝食も、10時ぐらいだった。これからとる昼食も、14時を過ぎている。2時間ほどズレているのか。
ほどなくして、バスは近くのレストランに到着した。昼食はバイキング形式のインド料理。子供達は大はしゃぎで料理を取りにいく。
俺は、みんなの最後尾で、大皿を手に取った。それほど種類が多くはないが、端から順番に料理を盛っていく。
何度もインドを旅しているが、未だに知らない料理がたくさんある。日本では、見たこともないような料理をわざわざ外食することはないが、旅に出かけると初めて口にする現地料理も楽しみの一つだ。
日本人の俺からすると、決して見た目は良いとは言えないインド料理がたくさんあるが、意外とそういうものが美味かったりする。旅先では、生もの以外は必ず試してみることにしている。
昼食中も、俺の周りに子供達が寄ってきた。“これあげる!”と言っているのか、チャパティ Chapati を2枚差し出す。既に満腹であったので、“No, thank you.” と言って、断った。
バスの中で子供達と遊び、日が降り注ぐ中を歩いて回った。昼食を食べた途端に、疲れがどっと出てきたような気がした。
子供達より先にレストランを出て、外でタバコを一本吸うとにした。
さぁ、インドへ行こう!〜(41)
バスは、カーンチープラム Kanchipuram からマーマッラープラム Mamallapuram へ向かった。
その道中では、車内の子供達は俺の周りから離れない。日本のこと、俺のことをいろいろと聞いてくる。どこの国の子供も、本当に無邪気で元気だ。
彼らの親たちが、時折、俺に気を使って最後尾の俺の席までやって来てくれる。“Are you exhausted?” 何人もの子供を、一度に相手をしているのが疲れると思ったのだろう。
彼らは、純粋な気持ちで俺に接してくる。嘘や偽りがまかり通る大人の世界に疲れた俺には、とても気持ち良い。癒される。
そうこうしていると、マーマッラープラム Mamallapuram へ到着した。
今回、マーマッラープラム Mamallapuram を目指したのは、海岸寺院 Sea Shore Temple を訪れたかったからだ。ロンリープラネット lonlyl panet や地球の歩き方で、海岸寺院 Sea Shore Temple の写真を見てから、是非行ってみたい所のひとつになっていた。
今回のインドの旅は、マイソール Mysore が最終目的地だが、ムンバイ Mumbai からわざわざチェンナイ Chennai に飛んだのも、その海岸寺院 Sea Shore Temple へ行きたかったからだ。
ようやく、マーマッラープラム Mamallapuram に到着し、俺の気持ちは海岸寺院 Sea Shore Temple へ一直線だ。その途中で連れて行かれるところは、あまり興味がない。
こういうときにツアーだと、料金が安い分、自分の思った通りの行動ができないのが難点だ。
マーマッラープラム Mamallapuram に着いたころには、同じツアーに参加している人たちとも打ち解け、子供達は完全に俺に懐いてきた。
今日は、海岸寺院 Sea Shore Temple へ行くこと、この子供達と遊ぶことで十分満足だ、と思うようになった。
そんな気持ちになると、ここがどこなのか関心がなくなっていたが、子供達も両親兄弟達とバスを降りて観光に出かけたので、俺もそれに着いていくことにした。

マーマッラープラム Mamallapuram で最初に連れて行かれた場所。ここはどこ?

インドでは、野良牛、野良犬の他に、ヤギまでもが街中で自由気ままに生きている

子供達が行く方向に着いていくと、なにやら歴史建造物らしきものが・・・入り口の看板を見てみると、ここが“5つのラタ(石彫寺院) Five Ratha”であることが判明した。

見事な石彫寺院の前には、俺が参加したツアー客意外にもたくさんの人々が観光に訪れていた
それほど広くはない5つのラタ(石彫寺院) Five Ratha は、ざっと見て周るだけではそれほど時間は掛からない。俺は、石彫寺院から少し名晴れた石の上に腰を下ろした。
しばらくの間、遠目で、休日を家族や友人達と楽しく過ごす人達を眺めていた。すると、ツアー参加者達が戻っていくのが見えた。俺も腰を上げ、バスに戻ることにした。
さぁ、インドへ行こう!〜(40)
しばらくすると、同じツアーに参加している人達が戻ってきた。どこの国の子供達も無邪気で元気で、兄弟や友達とはしゃぎながらバスに向かって走ってくる。
子供達は興奮冷めやらぬ状態で、バスに乗り込んでもワイワイと騒いでいる。お母さん達が注意するが、彼等は言うことを聞かない。
俺もバスに乗り込み、最後尾の自分の席に向かった。すると、バスの中ほどに座っている子供が、“コーリア?”と言ってきた。すかさず俺は、“ジャパニーズ”と答える。
ここ1〜2年の間、インドを旅すると、“ コーリア?”と尋ねられること の方が多い。4〜5年ぐらい前は、間違いなく真っ先に“ジャポネ?”と言われていたのだが。
インドへの進出は、現時点では日本よりも韓国の方が積極的のようだ。特にエレクトロニクス関係では、LGやSAMSUNGがインド市場を席巻しているようだ。SONY、Panasonic、ガンバレ!
話を戻すが、その子供に“ジャパニーズ”と答えると、彼は“ジャポネ!ジャポネ!”と騒ぎ出した。それを聞いた別の子供達も、同じように“ジャポネ!ジャポネ!”と言い出した。
今朝、バスに乗ったときから、みんな肌の色が違う俺のことが気になっていたんだろう。その彼との短いやり取りで、俺はバスの中で注目の的になってしまった。
まず、子供達が、最後尾に座る俺の周りに近寄ってきた。相変わらず“ジャポネ!ジャポネ!”と囃し立てる。ある子供が“Where in Japan do you come from?”と尋ねてくる。“I live at Yokohama.”と答える。
そうやって子供達と会話を続けていると、周りの大人達もとの会話に参加してくる。女性達は彼らの母親のようだ。子供と同じように、根掘り葉掘り俺の身上を聞いてくる。
素直に答えた後に、俺も彼等・彼女達に同じ質問を投げかける。“We're from Haryana.”と返ってきた。友達家族と一緒に、ハリヤナ Haryana から南インドへ旅行に来ているとのことだ。
この時期のハリヤナ Haryana はとても寒いようだ。場所によっては雪も降るらしい。1年に1回、こうしてみんなで南インドへ来ているという。
彼等、インドの子供達は、屈託がなく無邪気だ。また、日本の子供達と違って、とても聡明で勉強熱心である。
最も年配格の9歳の男の子が、俺にクイズを仕掛けてくる。それは、日本でも聞いたことがあるクイズで、答えはわかっている。
すぐに答えてしまうと面白くないので、わざとわからない振りをした。すると、彼から出た言葉が、“Logical thinking. this is very simple.”だと。
いま日本で、異国人の大人を相手に“Logical thinking.”と言う子供がどれだけいるのか。いや、間違いなく、ゼロであろう。
加えて、物怖じせずに、俺に色んな質問をぶつけてくる。“Do you like India?” “Do you like curry?” と“Do you like 〜?”シリーズの質問攻め。
俺も負けじと彼等に質問してみる。“Which subjects in school do you like?” これに対して、返ってきた答えは、“Science and math”
女の子も含めて半数以上の子供達が、“I like science and math”と答えてきた。これを聞いて、愕然とした。いま日本の小学生で、“数学と理科が好き!”という子供はどれだけいるのだろう。
彼等、彼女達が社会に出ていく20年後は、日本よりインドの方が、科学技術が発達しより豊かな国になっていることは間違いないだろう。

最年少4歳の子供。猿っぽいマスクで、友達・兄弟の間ではイジメられキャラになっていた

右側の男の子が、最年長で9歳。とても聡明で、俺にクイズを出し、“Logical thinking.”と言った。友達の間では、兄貴分の存在のようだ
上の猿マスクの子供のお兄ちゃん。兄弟ともに愛らしい笑顔を見せてくれる
さぁ、インドへ行こう!〜(39)
デーヴァーラージャスワーミー寺院 Devarajaswami Temple では、思わず老人の誘いに乗ってしまい、時間が経つのを忘れてしまった。
時計に目をやると、ちょうどバスに戻ろうとしていた時間だ。ここから急いで歩いても5分はかかる。老人に事情を話し、彼のガイドを打ち切りたかったが、どうしても最後まで説明したいという。
時計を気にしながら彼の話を最後まで聞く。彼も気を使ってくれて、駆け足でガイドを続ける。
ようやく最後になり、俺は彼に100ルピーのお礼を渡して、一目散にそこから離れた。彼も、“Hurry up!”と言って、俺を見送ってくれた。
“100ルピーとは奮発しすぎかなぁ・・・”と思ったが、彼の熱心なガイドに思わず差し出してしまった。
デーヴァーラージャスワーミー寺院 Devarajaswami Temple 前のの目抜き通りに差し掛かると、遠くに俺の乗ってきた青いバスが見えた。“間に合った・・・”と思わず胸をなでおろし、元来た道をまっすぐに戻っていった。
バスに到着すると、中は誰も居ない。さっきのシルクショップにも、ツアー客は誰も居ない。“みんな、どこへ行ったんだ?”と思いながらも、まだバスが発射していないことに安心し、ジーンズのポケットからタバコを取り出した。

バスの近くで停車していた車。今日は1月1日。インド流の注連縄(しめなわ)なのか??
さぁ、インドへ行こう!〜(38)
デーヴァーラージャスワーミー寺院 Devarajaswami Temple では、巧みな老人の誘いに思わず乗ってしまい、どんどん彼のペースにはまり込んでしまった。彼は機嫌を良くし、次々と俺を案内する。
老人ではあるが、笑顔がとても可愛い。とても悪人とは思えない。俺を騙そうとしているのではなく、心底から、自分達の歴史文化財を外国人にわかってもらいたい、という純粋な気持ちからなのだろう。そうでなきゃ、その彼の表情は出てこないだろう。俺も、いつの間にか、心底から彼を信頼しきっていた。

ブッダ Buddha もヴィシュヌ Vishnu 神の化身とされている

ヒンドゥー寺院の彫刻は、このように艶かしいものも非常に多い。

またもや艶かしい彫刻が。いつの時代も、人間の性への欲求は抑えきれない

細かく彫刻された部分も、欠けることなく現存していることも驚きに値する

男性に寄り添い見上げる女性。この二人は結ばれたのだろうか・・・

当時は、自動化された装置なんてない。どの石柱も手彫りで、同じものはひとつもない
ここ、デーヴァーラージャスワーミー寺院 Devarajaswami Temple は、ヴィシュヌ Vishnu 神に捧げられている。一方、さっき訪れたシュリ・エーカンバラナータル寺院 Sri Ekambaranathar Temple はシヴァ Shiva 神に捧げられている。
ヴィシュヌ Vishnu 神とシヴァ Shiva 神は、額につけられているマークが違うことを彼に教わった。ヴィシュヌ Vishnu 神は縦に一本線、シヴァ Shiva 神は横に三本線。
また、シュリ・エーカンバラナータル寺院 Sri Ekambaranathar Temple のシヴァ Shiva 神は、通称ビッグ・カーンチープラム Big Kanchipuram と言われる一方、デーヴァーラージャスワーミー寺院 Devarajaswami Temple のヴィシュヌ Vishnu 神は、リトル・カーンチープラム Little Kanchipuram と言われているとのこと。この両方の寺院は、捧げられている神の違いから、よく並び称されることが多いようだ。
さぁ、インドへ行こう!〜(37)
他のツアー客がシルクショップで時間を費やしている間、俺は近くの寺院を一人で見学することにした。
ツアーバスで連れてこられたので、地図を見ても自分の居場所がわからない。よって、これから入ろうとする寺院がなんて所かもわからないが、気にせずゴープラムをくぐった。
寺院の中に入ると左側に、見事な彫刻が施されている柱が多数立てられている、広間らしき建造物が目に入った。
その方向に向かって歩き出そうとしたとき、一人の老人が俺に近寄ってきた。どうも、“ガイドをしてやるよ”と言っているようだ。
彼の申し出を無視していたが、俺と同じ方向に向かって歩き出す。どうも、あの建造物のガイドをしてやると言っているようだ。
彼から逃げるために他に行くのもバカらしいので、そのまままっすぐに歩くことにした。
老人は、そそくさと建造物の中に入っていった。俺は、自分のペースで歩いていたが、彼はその建造物の上から、大きく手を振って俺に手招きをする。
彼の手招きで従ったわけではないが、たまたま俺が向かうところが、彼が案内する方向と同じだけだ。話しかけてきても、無視をし続ければいい。そう心に決めて、俺もこの建造物の中へ上がっていった。
無視をし続けるも、彼の言っている言葉が勝手に耳に入る。“全ての柱は、1つの岩から削られている・・・”との言葉に、思わず反応してしまった。“ひとつの岩から?”その俺の反応に気を良くしたのか、老人は次々と案内を始めていった。
ここのガイドに慣れた老人は、次へ次へを俺を案内する。写真をとる場所やアングルもアドバイスし、その手際の良さに思わず彼のペースに飲み込まれていった。さすがの俺も、彼の引き込む巧さに観念し、ここのガイドは彼に任せることにした。
“ここは、なんて寺院?”と聞いた。“デーヴァーラージャスワーミー寺院 Devarajaswami Temple ”と答える。地図で確認してみると、カーンチープラム Kanchipuram の中心から南東に外れたところにある寺院だ。
デーヴァーラージャスワーミー寺院 Devarajaswami Temple は、ヴィジャヤナガル朝 Vijayanagar によって建立され、ヴィシュヌ Vishnu 神に捧げらている。
老人いわく、“ヴィシュヌ Vishnu 神は、10のストーリーを持っている。1.fish、2.turtle、3.pig、4.lion、5.small boy、6.Rama、7.Vamana、8.Krshna、9.Kalki、10.Buddha。それらが全て、ここに彫刻されている”と言って、ひとつの柱を指差した。(後でネットで調べてみたら、10のストーリーとは、10の化身のことのようだ。)

ヴィシュヌ Vishnu 神の10の化身が柱に彫刻されている

小さな彫刻で、ところどころ風化されており、原型がわかり難くなっているものもある
さぁ、インドへ行こう!〜(36)
ツアー客全員が朝食を終え、バスに戻ってきた。子供達も満足のいく笑顔で、それぞれの席に座った。
バスは動き出し、次の目的地に向かった。次は、どこだろう・・・それも、ガイドと運転手に委ねるしかない。俺は、最後尾の席で窓の外を眺めた。
次も、10分ぐらい走ったところでバスは停車した。どうやら、土産物屋のようだ。降りたくはなかったが、一人でバスの中に居残るのも退屈だ。仕方なく、みんなの後についていった。
そこは、シルクの町工場 兼 販売所だ。アジアのどの国へ旅しても、ツアーだと必ず連れて行かれるような所だ。
ツアー客は、熱心にシルクが編まれるところを見学しているが、俺は全く関心がない。一通りざっと見たところで、そそくさと外に出てきた。
ここでどれぐらい時間を費やすのだろう。しばらく待っていたが、どうもかなりの時間を使いそうな予感がした。バスの運転手に聞いてみると、30〜40分はここにいるだろうとのこと。
その間、ずっと待っていても仕方ない。店の前から、道路の先のほうを眺めてみると、大きなゴープラムが見えた。ヒンドゥー寺院だ。
彼らがショッピングをしている間、その寺院を見に行くことにしよう。運転手にその旨を告げ、俺は道の先に見えるゴープラムに向かって歩き出した。
さぁ、インドへ行こう!〜(35)
カーマークシ・アンマン寺院 Kamakshi Amman Temple は空振りに終わり、バスは再び動き出した。相変わらず訛りのきつい英語で、ガイドは次の行き先地を告げた。
朝食だ。この近くで、朝食を用意しているようだ。10分ほどバスは走り、とあるホテルの敷地内に入った。バスの扉が開き、ツアー客はこぞって降りていった。
俺も、みんなの後に着いて行き、そのホテルの一番奥側にあった食堂に入った。正方形の4人席テーブルが10卓ほどある。先に入った子供達が、それぞれのテーブルを陣取っている。
家族連れの中に、一人日本人が座っているのもおかしいだろう。俺は、その中でまだ誰も座っていないテーブルに向かった。
しばらくすると、3人の年配の方が俺のテーブルに座ってきた。気にせず、ロンプラに目をやる。すると、奥の部屋からホテルの人が、大きな銀色の皿を両手に持ってやってきた。
それぞれのテーブルに人数分の皿を置いていく。その上には、イドリーを代表に、南インドの代表的な料理が盛られている。
全員に皿が配られたところで、今度は大きな鍋を乗せた配膳台がやって来た。その配膳台を押すホテルのスタッフが、これもまた大きなオタマでその鍋からカリーを掬う。それぞれの皿に盛っていった。
何の特徴もない殺風景なホテルの中の食堂。期待はしていなかったが、これがなかなかイケる味だった。思わず、カリーのお代わりをお願いし、全てを食べ終わったころには、額にうっすらと汗がにじみ出ていた。
各人は、自分の食事が済むとばらばらに食堂を出て行く。俺も、同じテーブルの3人と同時に席を立ち、バスを停めている駐車場へ向かった。
さぁ、インドへ行こう!〜(34)
ガイドもツアー同行者もバスに戻ってくるのが見えた。すぐに俺もバスへ戻る。子供達がわいわいと騒ぎながらバスに乗り込んでいった。
次はどこへ行くのだろう。ツアーだから、行き先をガイドと運転手に委ねるしかない。ゆっくりと動き出したバスは、10分も走らないうちに再び停車した。ガイドがマイクを通して、みんなに降りるように伝えた。

カーンチープラム Kachipuram での第二の目的地。ここはどこだろう・・・
ここはどこだろうか・・・。まぁ、いい。とりあえずみんなに着いていこう。しかし、ここはさっきのシュリ・エーカンバラナータル寺院 Sri Ekanbarabathar Temple と違って、多くの人でごった返していた。
ぼやぼやしていると、今度はほんとに置いてけぼりをくらいそうだ。ここでは、とにかくガイドに着いていくしかない。しかし、慣れたガイドとツアー客は、ここでも足早に歩いていく。
ツアー一行は、ある寺院の入り口に到着する。ガイドの指示通りに、入り口脇でスニーカーを脱ぎ、少年に10ルピーを渡し、靴を預けた。
すると、その脇でどこか懐かしい雰囲気が漂う男女が立っていた。周りとは全く肌の色が違う二人。そう、見るからに東アジア人だ。すかさず、その女性が手に持っていた本に目をやると、“地球の歩き方 インド”と書いてある。
こんなところにいる日本人に会うとは思わなかった。珍しいのだろう。お互いが意識した。
“人、多いですね”と俺が話しかけた。女性が“そうですね”と返してきた。次の言葉をかけようとすると、そのカップルは、後ろから大勢の人の流れに押しやられてしまった。
女性は流されてながら、“あけましておめでとうございます”と言ってきた。俺も同じ言葉で返そうとしたが、その人の流れに押されて二人は俺の前から消えていった。
気を取り直し、寺院入り口前に戻る。その狭い入り口に向かって、非常に大勢の人々が並んでいた。その列の先頭の方が、一際騒がしい。どうやら、寺院の人ともめているようだ。
これだけの長蛇の列ならば仕方ないか・・・と思った途端、そのもめている連中の中に、俺が参加しているツアーガイドがいるのを発見した。その周りには、ツアー同行者もいる。
おそらくタミル語だろう、何を言っているのか全く判らないが、そのすごい剣幕からただならぬ雰囲気を感じ取れた。
10分ほど経っただろうか、そのガイドは体を翻して、ツアー客を引き連れてバスへ戻っていく。仕方ない、俺も着いていくしかない。少年に預けた靴を取り戻し、急いで彼らに着いていった。
“どうしたのか?”とガイドに聞こうとしたが、その表情はまだ強ばっている。とばっちりを食らうのも癪なので、ツアー同行者の一人に聞いてみた。
“今日は新年で、たくさんの人がこの寺院に来ている。中に入るのに1時間以上かかるらしい。彼はそんなに待てないと憤慨して交渉したが、どうも無理だったようだ”
日本であれば、無言で列の最後尾に並ぶのがマナーだが、ここインドではなんでも交渉に持ち込む。彼は、我々ツアー客のことを思ってそのような交渉をしてくれたのか、それとも自分個人の感情で喚き散らしたのかはわからない。とにかく、ここインドでは、よく見る光景だ。
そのツアー同行者に、“ここは何て寺院ですか?”と聞いた。“カーマークシ Kamakshi” と言う。ロンプラを広げ、確認すると、カーマークシ・アンマン寺院 Kamakshi Amman Temple。街のほぼ中心だ。
解説を読むと、“どんな願いを叶えてくれる女神カーマークシ Kamakshi に姿を変えたパールヴァティー Parvathi に捧げられている”とのこと。新年早々、どんな願いも叶えてくれる女神カーマークシ Kamakshi の寺院を参拝できないなんて、今年はどんな願いも叶わないのかも・・・と余計なことを考えてしまった。
さぁ、インドへ行こう!〜(33)
ツアーから離れ、独りでシュリ・エーカンバラナータル寺院 Sri Ekanbaranathar Temple を見て周った。先にバスが出てしまう心配もあり、少し早めにバスに戻ることにした。
来た道を戻り、寺院の入り口に停車しているバスを見つけた。どうやら、まだツアー同行者は戻ってきていないようだ。

シュリ・エーカンバラナータル寺院 Sri Ekanbaranathar Temple 前の駐車場。左側の青と白のツートンのバスが、我々が乗ってきたバス
みんなが戻ってくるまで、バスの中で待っているのもバカらしい。彼らがバスに戻ってくるのが見える範囲内で、シュリ・エーカンバラナータル寺院 Sri Ekanbaranathar Temple の前を通りを散策してみることにした。

寺院の前をまっすぐ伸びる大通り。両脇に何台ものバスが停車していた

60メートルのゴープラムは、どこからでも見ることができ、目印になった
さぁ、インドへ行こう!〜(32)
シュリ・エーカンバラナータル寺院 Sri Ekambaranathar Temple はシヴァ Shiva 神を祀っている。16世紀から17世紀にかけて、ヴィジャヤナガル朝 Vijayanagar 、パッラヴァ朝 Pallava 、チョーラ朝 Chola の時代に建造、増築されている。
シュリ・エーカンバラナータル寺院 Sri Ekambaranathar Temple の名称の由来は、エーカ・アムラー・ナータ Eka Amra Nathar (マンゴーの王)であるという。実際に、樹齢3500年のマンゴーの木が生えており、4つのヴェーダを象徴する4本の枝が伸びている。
ガイドに案内されたツアー客は、ぞろぞろと神殿内に入っていく。案内に慣れたガイドは、次々と進んでいく。自分のペースで歩きたい俺は、気が付くとひとり取り残されてしまう。
最初のうちは、頑張ってみんなのペースに合わせてはいたが、「そんなに人も多くないし、同じツアーの人を何人か憶えていれば、すぐに見つけられるだろう。」と思い始めると、途端に我流の歩き方をしてしまった。
同行のツアー客は、シヴァ Shiva が祀ってある本堂に入っていく。ロンプラによると、そこはヒンドゥー教徒しか入れないようだ。しかし、仮にヒンドゥー教徒外が入れたとしても、俺はなぜか入る気がしなかった。
薄暗い室内の奥にシヴァ Shiva の石像が立っていた。ここインドのヒンドゥー教徒達が、神聖な気持ちでシヴァ Shiva 神に祈りを捧げている。不純な気持ちは全くなかったが、そんな場所にのこのこと異国人が見物するのも気が引けてしまった。俺は、その場から立ち去った。
ひとりで行動を開始し、同行のツアー客の姿も見えなくなった。少し不安になってきたが、「まぁ、そんなにすぐにはバスは発車しないだろう。10分ほどしてバスに戻れば大丈夫だろう。」と思い、そのまま巨大な回廊をひとりで歩き続けた。

回廊の脇には、本堂を囲むように136本のリンガ lingam が立てられている

マンゴーの木の下で、シヴァ Shiva とカーマークシ Kamakshi (パールバティ Parvathi )が結婚したという伝説がある

南インドの子供達は、カメラを向けると快くポーズをとってくれる
さぁ、インドへ行こう!〜(31)
バスは、細い裏路地をくねくねと上手に曲がりながら進む。座席から外を見ると、その細い裏路地にはたくさんの人々が行きかっている。バスとすれすれのところを揚々と歩いている。
ちょっとでもハンドル操作を間違えると、何人か引いてしまいそうだ。しかし、運転手も道行く人々も慣れたもので、そんな状態でも何も起こらない。
バスは、停車場らしき場所で停車し、ツアー客はぞろぞろとバスから降りた。俺も最後尾から、みんなに着いていった。
カーンチープラム Kanchipuram で、まず訪れたところは、シュリー・エーカンバラナータル寺院 Sri Ekambaranathar Temple だ。
このシュリー・エーカンバラナータル寺院 Sri Ekambaranathar Temple は、ここカーンチープラム Kachipuram で最も大きい寺院である。ゴープラムの高さは約60m。12haの敷地の周りに石の外壁が建てられている。

高さ60mのシュリー・エーカンバラナータル寺院 Sri Ekambaranathar Temple のゴープラム
バスが停車したすぐ傍に、入り口らしき門がある。その門の前には数軒の土産物屋がある。我々を見つけて売り込みにくるかと思ったが、誰も近づいてこない。ガイドはツアー客全員を連れて、シュリー・エーカンバラナータル寺院 Sri Ekambaranathar Temple の敷地内へ入っていった。

シュリー・エーカンバラナータル寺院 Sri Ekambaranathar Temple の入口前
さぁ、インドへ行こう!〜(30)
バスに乗り込み、俺は開いているシートに座った。暫くして、運転手が番号を呼び始める。番号を読み上げる度に、バスの中の人達が返事をする。“そっか、座席は指定なのか。俺は・・・”と思いながら、昨夜もらったチケットを見直した。
そこには、二桁の数字とアルファベット一文字が書かれている。おそらくそれが俺の座席番号だろう。俺は、隣に座っていた女性にそのチケット見せ、自分の座席を確認した。すると、最後部座席のようだ。すぐに移動し、指定されたシートに座りなおした。
バスが動き出した。“まだ半分ぐらい空席があるのに、意外と人気がないツアーだったのか・・・”と思ったや否や、5分ほどしてバスは停車した。そこは、このバスツアーの別の集合場所。大勢のツアー客が乗り込んできて、ほぼ満席になった。
再びバスは発車した。車内では男性スタッフが、インド訛りが強い英語で説明を始める。
“まずは、1時間半ほどかけてカーンチープラム Kanchipuram へ向かい、○○○ 寺院と○○○寺院へ行きます。その後に朝食です。朝食後に○○○寺院を訪問し、その後マーマッラープラム Mamallapuram へ向かいます。マーマッラープラム Mamallapuramu の後は・・・”
と、なんとなく言っていることがわかる気がしたが、それが正しいかどうかわからない。仮に、そのガイドの説明をを正確に理解できたとしても、ここインドでは予定通りに行くことは少ない。あまり気にせず、俺は車窓を眺めていた。
チェンナイ Chennai 市内は交通量も多く、道路もよく整備されている。しかし、ひとたび郊外に出ると、舗装されていない未整備の道路に出くわす。バスは上下にガタガタと揺られながらも、カーンチープラム Kanchipuram に向かって快走した。
朝早く出発したこともあり、またそのバスの上下運動が眠気を誘ってくる。外の景色を眺めていたが、いつの間にか眠ってしまったようだ。
1時間ぐらい寝てしまったのだろう。朝い眠りの中で、バスが右へ左へ小刻みに曲がる感触がした。目を覚まし外を見ると、小さな街中に入り込んでいた。カーンチープラム Kanchipuram に到着したようだ。

前の席に座っていた少年。カメラを向けると、とても可愛い笑顔を見せてくれた。
さぁ、インドへ行こう!〜(29)
インドでも、1月1日はHappy New Year だ。昨夜は、ホテル近くでもNew Year Party を開催しているレストランも多かった。そういえば、数多くのインド旅を重ねてきたが、ここインドで年越しをするのは初めてだ。
日本にいると、お決まりのテレビ番組や街中の飾り物などで、否が応でも年越し気分になってくる。しかし、ここインドでは、俺が慣れていないこともあって、そんな気分になることはなかった。ただの旅の一日に過ぎなかった。
日本ではめでたい元旦の日に、俺はここチェンナイ Chennai から、マーマッラープラム Mamallapuram とカーンチープラム Kanchipuram へ向かう。そう、昨夜、タミル・ナドゥ州観光開発公団 Tamil Nadu Tourism Development Corporation で申し込んだバスツアーに参加する。
早朝6時30分に、ツアーを申し込んだタミル・ナドゥ州観光開発公団 Tamil Nadu Tourism Development Corporation のオフィスに集合との事。5時に起きて支度するつもりが、旅の疲れか30分ほどベッドの上でうだうだしてしまった。
危うく二度寝をしそうになったが、重い体をたたき起こした。時計を見ると、6時10分。ホテルから集合場所 までは、歩いて10分ほどかかる。急いで身支度をし、部屋の床の上に無造作に置いてあったデイバックを背負い、ホテルを後にした。ちょうど6時30分。「まずい・・・。先にバスが行ってしまうんじゃ・・・」と思いながら、早足で集合場所へ向かう。
しかし、早朝でまだ薄暗いのに、たくさんのインド人が街中を行きかっていた。祝日のせいなのか、それとも元々ここインド・チェンナイ Chennai の朝の風景がいつもそうなのか、我々日本人が抱く忙しない朝というイメージは、全く感じられない。どこか優雅に、また時間の流れがゆっくりと感じられる。
そんな感傷に浸っている暇はない。そんな時間の流れの中でただ一人、日本人の俺は忙しなくタミル・ナドゥ州観光開発公団 Tamil Nadu Tourism Development Corporation へ向かう。
オフィスのドアを開け中に入る。すると、椅子に腰をかけていた数人のインド人女性と子供達が、ギロッと俺のほうに振り返った。目の前のカウンターデスクの向こうには、昨日のインド人スタッフがいた。彼は俺に、ニコッと微笑んだ。どうやら間に合ったようだ。
それから10分ほど経ち、皆が外へ出て行く。俺もそれに着いていくと、さっきの男性スタッフが俺を手招きし、目の前のバスに乗り込むように指示をする。いよいよ出発だ。

タミル・ナドゥ州観光開発公団 Tamil Nadu Tourism Development Corporation のツアーバス
December 31, 2007
さぁ、インドへ行こう!〜(28)
インドの中でも、南インドの人は本当に気さくだ。カメラを持っている俺を見かけると、すぐに“俺たち(私たち)を撮ってくれ”とせがんでくる。
エグモア駅 Egmore R.S. からタミル・ナドゥ州観光開発公団 Tamil Nadu Tourism Development Corporation へ歩くだけで、通りすがる人々や沿道で軽食を提供する人々が、俺のカメラの前でポーズを撮るのは紹介済みだ。
俺にシャッターを押させてくれるのは、別に街ですれ違う人やおやつを買う店の人だけではない。オート・リキシャーのドライバーや、高給取りが行くブランドショップの人達も、俺がカメラのレンズを向けると同じように笑顔を見せてくれる。

スペンサー・プラザ Spencer Plaza からHotel Royal Regency まで俺を運んでくれた、オート・リキシャー・ドライバーのKalai

スペンサー・プラザ Spencer Plaza でサングラスを買ったショップの親娘店員。ともにオレンジ色のサリーがとても似合う。
日本だけではなく、他のアジアの国でも、ここまで写真撮影にウェルカムな土地は他に知らない。国や地域によっては、写真撮影が厳禁なところもある。
しかし、ここチェンナイ Chennai では、そんなことを気にする必要なない。ぜひ、チェンナイ Chennai を含め南インドを訪れた際には、恥ずかしがらずにカメラのレンズを待ち行く人々に向けてみよう。日本では経験できないリアクションが、彼等・彼女達から帰ってくるだろう。
さぁ、インドへ行こう!〜(27)
タミル・ナドゥ州観光開発公団 Tamil Nadu Tourism Development Corporation へ向かうつもりが、チェンナイ Chennai の人達の気さくな笑顔に釣られて、かなりの足止めを食らった。気を引き締めなおして、目的地を探すことにした。
しかし、地図どおりに歩いても、肝心のタミル・ナドゥ州観光開発公団 Tamil Nadu Tourism Development Corporation は見つからない。どうしたことか・・・。ロンプラ lonely planet では、Park Train Station のすぐ近くだ。

Park Train Station の駅前通りの様子。仕事帰りなのか、レジャー帰りなのか、家路に急ぐ人々。
なかなか、タミル・ナドゥ州観光開発公団 Tamil Nadu Tourism Development Corporation が見つからない。諦め気分が強くなってきたところに、ようやく目的地を表すネオンが見えてきた。

タミル・ナドゥ州観光開発公団 Tamil Nadu Tourism Development Corporation
あまりにも人通りが多い通りで、周辺の光るネオンに隠れるようにして表示されるタミル・ナドゥ州観光開発公団 Tamil Nadu Tourism Development Corporation の看板。よほど気をつけて探さないと、間違いなく通り過ごしてしまうだろう。
ようやく見つけたタミル・ナドゥ州観光開発公団 Tamil Nadu Tourism Development Corporation の看板をくぐり、オフィスを探す。一歩中に足を踏み入れると、看板の外の大通りとは程遠い、薄暗い空間が俺を迎え入れた。本当に、ここに目的地があるのか・・・
そんなおれの懸念を他所に、すぐにタミル・ナドゥ州観光開発公団 Tamil Nadu Tourism Development Corporation を発見することができた。それは、小学生の夏の林間学校で見たような、薄暗くて寂れた建物の中に合った。

タミル・ナドゥ州観光開発公団 Tamil Nadu Tourism Development Corporation の入り口
ようやく見つけたタミル・ナドゥ州観光開発公団 Tamil Nadu Tourism Development Corporation 。ためらわずに、その建物に足を踏み入れた。
ここにもまた、南インド・ドラヴィダ Dravida 文化を象徴するかのような、背格好や顔、鼻の形が丸い中肉中背の男が待ち受けていた。彼は、笑顔で俺を招きいれた。
少し踏ん反り返ってはいるが、その目と表情はとてもフレンドリーだ。俺は、翌日にマーマッラープラム Mamallapuram へ行きたい旨を伝えた。
彼は“OK”と言って、俺に翌日のバスツアーの案内を始めた。
6:30amにこのオフィスの前を出発。7:00pmに帰着予定。行き先は、マーマッラープラム Mamallapuram のほか、カーンチープラム Kanchipuram など周辺の観光地を一日で周るツアーだ。
Non A/C で、330ルピー。ホテルのツアーデスクで紹介されたよりは高いが、そっちは明日は催行されない。しかも、タクシーチャーターよりは格段に安い。
仕方ない。目の前の男の笑顔と親切に免じて、このツアーに申し込むことにした。

タミル・ナドゥ州観光開発公団 Tamil Nadu Tourism Development Corporation のデスク
ようやく、翌日1月1日の予定も決まり、トボトボとホテルに戻ることにした。そういえば、今日は大晦日じゃないか。というより、腕時計で時間を確認したら、既に日本では新年が明けていた。旅をすると、つい日本の時間軸を忘れてしまうのは俺だけではないだろう。

全ての旅の手配を終えて到着したHotel Royal Regency

日本では既に新年が明けた時間だが、インドを旅している俺にとって2007年の最後の食事。“年越しそば”ではなく、“年越しビュッフェ・ターリー”??
さぁ、インドへ行こう!〜(26)
今回の旅のメインはマイソール Mysore 。にもかかわらず、ムンバイ Mumbai からバンガロール Bangalore ではなく、ここチェンナイ Chennai に飛んできたのは、もうひとつの目的がある。
それは、マハーバリプラム Mahabalipuram を訪ねることだ。チェンナイ Chennai から海沿いを南へ約60kmほど下ったところにある。
前回のチェンナイ Chennai 滞在では、マハーバリプラム Mahabalipuram を訪れる時間がなかった。もんもんとした気持ちで日本に帰国し、いつか必ずマハーバリプラム Mahabalipuram へ行くぞ!と自分自身に誓っていた。
現地では、このマハーバリプラム Mahabalipuram という呼び名より、マーマッラプラム Mamallapuram と言った方が通りがいい。前回の自分への約束を履行するため、先ほどのツアーデスクへ向かい、同じ女性にマーマッラープラム Mamallapuram へのツアーを確認してみた。
彼女に差し出されたパンフレットを見ると、マーマッラプラム Mamallapuram の他、いくつかの観光地も訪れて、バスツアーで100ルピー。India A/C 1900ルピー、India Non A/C 1700ルピーという記載もある。要はタクシー1台をチャーターしてその値段ということだ。バス、タクシーに関わらず、どれも8:00am出発の8:30pm到着のツアーのようだ。
タクシーのチャーターも魅力的だったが、バスのツアーに参加することに決めた。タクシーチャーターだと値段が高いこともあるが、現地の人達と交流する機会が乏しい。せっかく南インドまで来ているのだから、多くの現地の人達と交流したいとおもったからだ。
彼女に、翌日1月1日のバスツアーを申し込んだ。しかし、その日のバスツアーは催行されないとのこと。ここでもまた、思い通りに行かないインド旅の面白さを体験した。
そんな時、頭の片隅に残っていたタミル・ナドゥ州観光開発公団 Tamil Nadu Tourism Development Corporation のことを思い出した。確か、このタミル・ナドゥ州観光開発公団のオフィスは、この俺が滞在しているホテルから歩いてすぐのところにあるはずだ。しかも、多種多様なツアーを提供するという。マーマッラープラム Mamallapuram へのバスツアーの手配もできるかもしれない。
さっそくバッグからロンプラ lonely planet を取り出し、タミル・ナドゥ州観光開発公団 Tamil Nadu Tourism Development Corporation の位置を確認した。ホテルから中央駅 Chennai Central R.S. 方面へ歩いてすぐだ。
ホテルを出て、その地図どおりに中央駅 Chennai Central R.S. 方面へ歩く。たかだか数百メートルではあるが、その道中でも思わずカメラのレンズを向けたくなる景色が俺の目に飛び込んできた。

馬車小屋。大通りに面した小さな箇所に、馬と車が格納されていた

壁にペイントする人達。通り過ぎようとすると、彼らは俺に写真を撮るように催促した。

タミル Tamil 語は、ウォールペイントに向いているのか?妙にマッチングしている
間は夕暮れ時。日も傾いてきて、買い物に出かける時間が少なくなってきていることに焦りを感じ出した。

中央駅 Chennai Central Station 近くにある小寺院

チェンナイ Chennai では、カメラを持っていると自分達を撮るように強請られる

夕暮れ時の中央駅 Chennai Chentral Station 駅前

彼らもまた、俺が首から提げるカメラを目ざとく見つけて、写真を撮ってくれと笑顔でせがんできた。
さぁ、インドへ行こう!〜(25)
マイソール Mysore 行きの交通を確保した俺は、ホテルの前で客待ちをしていたオート・リキシャーに飛び乗った。“Would you please bring to the Spencer Plaza?”
スペンサー・プラザSpencer Plaza とは、チェンナイ Chennai の街の中心にある大型ショッピングセンターだ。前回のチェンナイ Chennai 訪問でも訪れたところだ。
買い出しと言っても、別に食料を買い込むわけではない。今回の旅で、日本から持ってきた衣類は、3日分だけだ。そう、明日から着るものがない。その衣類を買い足すため、スペンサー・プラザ Spencer Plaza へ向かった。
エグモア駅 Egmore R.S. 近くのホテルからオートリキシャーに乗り、街を南下する。チェンナイ Chennai 市街のメイン道路のアンナー・サラーイ Anna Salai を南下し、15分ほどでスペンサー・プラザ Spencer Plaza に到着した。

スペンサー・プラザ Spencer Plaza の正面入り口
オートリキシャーを降り、タバコを1本吸った。タバコを1本吸う間にも、客待ちのオートリキシャーのドライバーは、俺に手招きをしたり声をかけてきたりする。本当に商売熱心だ。
スペンサー・プラザ Spencer Plaza は、ここがチェンナイ Chennai とは思えないぐらい綺麗なショッピングセンターである。男性用、女性用の衣類を専門に扱うショップを始め、ブックショップやCD/DVDショップまである。その数は、大小含めて相当な数だ。そういえば、前回はここスペンサープラザ Spencer Plaza のショップで、ジーンズ1本と、本をCDを大量に買い込んだことを思い出した。

スペンサー・プラザ Spencer Plaza 内の吹き抜け

スペンサー・プラザ Spencer Plaza の外観や、周辺の街並みとは似つかわしくない店内の造り

前回のチェンナイ Chennai 滞在で、大量の本とCDを買い込んだショップ
スペンサー・プラザ Spencer Plaza 内を少しぶらついた。俺は、気に入るシャツを売っているショップがなかなか見つからない。やはり、日本で暮らす俺のセンスと、南インドの人々が欲しいと思うものは異なるのか。
いや、異なって当たり前だ。そう思えば、インドでの買い物なんて楽なものだ。周りの人達を見て、それと同じようなものを買えばいい。
間違っても、それを来て日本の渋谷や新宿を歩こうなんて思わないことだ。せいぜい、近所に買い物に出かけるときに着られればいい。
そう悟った俺には、既に迷うことはない。すぐ近くのショップで、安くて俺に似合うリーズナブルなシャツを調達することができた。これで明日一日は、南インド最大の都市、チェンナイ Chennai を裸体で歩かなくて済みそうだ。
さぁ、インドへ行こう!〜(24)
空港から市内へ向かう途中、タクシーが接触事故を起こすアクシデントに見舞われた。ドライバーと相手方が幾分か言い合った後、お互い何もなかったかのように、そのまま自分の行く道を進んでいった。
昼間の渋滞にも巻き込まれ、そんなこんなでホテルに到着したのは13時過ぎだった。さっそくフロントでチェックインをし、部屋へ案内された。
さて、この次にしなければいけないこと。それは、今回の旅のメインディッシュである、マイソール Mysore 行きの列車のチケットを確保することだ。
出発前の日本で、IRCTCのサイトからトライしてみたが、勝手がわからず途中で断念。チェンナイ Chennai に到着してから手配することにした。
目的の列車は、6222 Mysore Exp。チェンナイ Chennai の中央駅 Central R.S. を22時30分に発車する。マイソール Mysore 駅到着は翌朝だ。翌日の夜にこの列車に乗り込み、1月2日朝にマイソール Mysore に着くプランを立てていた。
宿泊代を浮かすこともあるが、俺は列車の旅、特に夜行列車の旅が大好きだ。ホテルの部屋に荷物を置き、ロビーにあるツアー会社のデスクに向かった。
オレンジ色のサリーを綺麗に着こなす女性がひとり、そのデスクに座っている。彼女に列車名と搭乗月日を告げて、チケットの手配をお願いした。
彼女は、目の前のパソコンを操作し始めた。しばらくすると、浮かない表情で、“No”と言ってきた。どうやら満席のようだ。仕方なく、その前後の日程で調べてもらったが、夜行も昼運行の列車も、1月4日からしか手配できないとのこと。ここチェンナイ Chennai にはそれまで滞在するつもりはない。
どうしようか思案した挙句、1月2日早朝に飛行機でバンガロール Bangalore へ行き、そこから列車でマイソール Mysore へ向かうことにした。バンガロール Bangalore まで行けば、そこかマイソール Mysore までは列車で2時間。2時間ぐらいであれば、最悪は2等に乗って揉みくちゃにされても我慢できるだろう。
そのフライトチケットを、そのツアーデスクで手配をお願いしても良かったが、彼女はエアー・デカン Air Deccan を薦めてくる。確かに、2700ルピーは破格値だ。しかし、俺はジェット・エアウェイズ Jetairways かキングフィッシャー・エアライン Kingfisher Airline に乗ることにしている。しかも、そのツアーデスクでは現金払いしか受け付けないという。
俺は部屋に戻り、自分のノートパソコンをネットに接続した。ジェットエアウェイズ Jetairways のサイトへ行き、1月2日 チェンナイ Chennai 5:55am発 → バンガロール Bangalore 6:40着 の 9W802便を予約した。フライト料金は81.7USD。ツアーデスクの彼女が薦めたエア・デカン Air Deccan とほぼ同額である。
これで、マイソール Mysore 行きへの交通を確保した。次は、チェンナイ Chennai の街中へ買出しに出かけることにした。
さぁ、インドへ行こう!〜(23)
タクシーで、チェンナイ Chennai 空港からホテルへ向かう。車窓から外の景色を眺めてみる。その光景は前回と同じ、まさしくここはチェンナイ Chennai だと実感した。
沿道に掲げられている看板は、異様に大きい。また、そこに書かれている文字も、それまで居たムンバイ Mumbai とは全く違う。
丸みを帯びたその文字は、タミル Tamil 語。ここチェンナイ Chennai が位置する州は、タミル・ナドゥ Tamil Nadu 州。その州名通り、ここはタミル Tamil 民族の国である。そう、歴史的にイスラム文化の影響を受けていない、ドラヴィタ Dravida 文化の世界だ。
ひと口にインドと言っても、その場所によって暮らす人々や文化が全く違う。主要都市、デリー Delhi、ムンバイ Mumbai、コルカタ Kolkata、チェンナイ Chennai、のどこをとっても同じ民族ではない。
多くの民族が、インドというひとつの超大国の中に暮らしている。しかし、彼らは、それぞれ自分達の独自の民族を持ち、それを誇りに思っている。
ここチェンナイ Chennai は、南インドの代表都市。インドを、北インドと南インドに分けて称することが多い。その南インドの政治、商業の中心地、それがここチェンナイ Chennnai だ。
現在のインド全体の政治、経済の中心は、北インドに集中している。しかし、タミル・ナドゥ Tamil Nadu 州を中心に南インドに暮らすタミル Tamil 民族は、インドがインドたる所以は自分達である、と自負している。
よって、北インド、特に政治の中心地デリー Delhi に対しては、自分達の独自性を主張し、抵抗意識を強く持っているように聞く。
その、彼らが主張するインドがインドたる所以、ドラヴィダ Dravida 文化を、ここチェンナイ Chennai を中心に南インドで垣間見ることができる。
さぁ、インドへ行こう!〜(22)
10:45am。予定通りにチェンナイ Chennnai 空港に到着した。チェンナイ Chennnai に到着すると、まずしなければいけないことがある。それは、ホテル探しだ。
前回、チェンナイ Chennai を訪れたとき、泊ったホテルに泊りたかった。出発前に日本で調べてみたが、わからなかった。当時持ち帰ったホテルの案内やレシートも探してみたが、見つからなかった。
知り合いの何人かにそのホテルのことを話したことを記憶しており、その人達にも聞いてみた。しかし、俺がそのとき伝えたホテル名を憶えている人はいなかった。
仕方なく、住所や連絡先、ホテル名もわからないまま、チェンナイ Chennai に到着した。エグモア駅 Egmore R.S. と中央駅 Chennai Central R.S. の間に位置することだけは憶えてている。前回と同じ、空港のホテル案内 Hotel Reservation のカウンターへ向かった。
ホテル案内 Hotel Reservation の男は、明らかに外国人とわかる俺を上客だと思ったのか、手招きをして呼んだ。“そんなに呼ばなくても行ってやるよ・・・”と心の中で呟いた。
彼は、あれやこれやとパンフレットを見せて薦めてくる。しかし、俺の心の中では、前回泊まったホテルと決めている。“前回ここで紹介してもらって、エグモア駅 Egmore R.S. と中央駅 Chennai Central R.S. の間に位置して、1泊2000ルピーぐらいのホテルを教えてくれ”と、頑張って英語で伝えた。
カウンター前に立つ男は怪訝な表情をする。しかし、カウンター内で座っていた男はすぐにピンと来たようだ。すぐにパンフレットをひとつ差し出してきた。
“Royal Regency”と書かれたパンフレット。そこに載せてあるホテルの外観とフロントの写真を見て、“間違いない!ここだ!”と思わず日本語で叫んでしまった。
デポジット1000ルピーと、プリペイドタクシー代250ルピーを支払い、ポーターに連れられてタクシー乗り場へ向かった。
小柄で中肉の中年ポーター。顔も鼻も丸っこく、見るからに南インド・ドラヴィタ系の人種だ。そんな背格好ではあるが、威風堂々と俺の荷物を引っ張って、タクシー乗り場へ案内する。
どこかで見たことのある顔でもある。そうだ、前回、ここチェンナイ Chennai 空港に降り立った時にも、このポーターにタクシー乗り場へ連れて行ったもらった。間違いない、この顔だ。
彼に英語でそのことを伝えたが、彼は全く憶えていない様子。無理もない。前回と言っても、1年半前のことなのだから。彼にとってはその間に、何百人、いや何千人の荷物を運んだのだろう。
しかし、俺自身、彼のことを憶えていて再会したことを少し嬉しく思い、前回のチェンナイ Chennai 滞在時の光景が、少しずつ頭の中に蘇ってきた。









































